天智天皇(三十)金東厳の来日と調の献上

MENU
TOP>天智天皇(日本書紀)>天智天皇(三十)金東厳の来日と調の献上
スポンサードリンク

天智天皇(三十)金東厳の来日と調の献上

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

秋九月壬午朔癸巳、新羅、遣沙㖨級飡金東嚴等進調。丁未、中臣內臣、使沙門法辨・秦筆、賜新羅上臣大角干庾信船一隻、付東嚴等。庚戌、使布勢臣耳麻呂、賜新羅王輸御調船一隻、付東嚴等。

現代語訳

(即位7年)秋9月12日。新羅は沙㖨(サトク=地域名)の級飡(キュウサン=官位の名前)の金東厳(キントウゴン)などを派遣して、調(ミツキ)を献上しました。
9月26日。中臣内臣(ナカトミノウチツマヘツキミ=中臣鎌足)は沙門(ホウシ=法師)の法弁(ホウベン)・秦筆(ジンヒチ)を派遣して、新羅の上臣(マカリダロ)大角干(ダイカクカン=官位の名前)の庾信(ユシン)に船を1隻を与え、東厳(トウゴン)たちに付けました。
9月29日。布勢臣耳麻呂(フセノオミミミマロ)を派遣して、新羅王に御調(ミツキ)を運ぶための船を1隻与えて、東厳たちに付けました。
スポンサードリンク

解説

新羅は唐の属国となり、百済を滅ぼしました。
なのに、日本に貢調を献上して関係は、その後も相変わらずです。

思うに、日本と新羅・百済・高麗の「貢調」とか「朝貢」の関係と、中国などの儒教国の考える「属国」の関係は、意味合いが違うんじゃないかと思っています。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集