天智天皇(三十一)唐の大将軍の英公により高麗が滅亡

MENU
TOP>天智天皇(日本書紀)>天智天皇(三十一)唐の大将軍の英公により高麗が滅亡
スポンサードリンク

天智天皇(三十一)唐の大将軍の英公により高麗が滅亡

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

冬十月、大唐大將軍英公、打滅高麗。高麗仲牟王初建国時、欲治千歲也、母夫人云「若善治国、不可得也、但當有七百年之治也。」今此国亡者當在七百年之末也。

現代語訳

(即位7年)冬10月。大唐(モロコシ)の大将軍の英公(エイコウ)が高麗を打ち滅ぼしました。高麗の仲牟王(チュウムオウ)が初めて国を建てた時に、千年統治したいと思いました。母夫人(イロハノオリクク)が言いました。
「たとえ、どれだけ良く国を治めても(千年治めることは)出来ないでしょう。ただ700年なら治めることは有るでしょうけど」
今、この国が滅んだのはまさに七百年の末です。
スポンサードリンク

解説

仲牟王
仲牟王は高麗(高句麗)の始祖とされる人物。伝説上の王とされます。好太王の碑文にも名前があります。ただ、三国史記では高麗の始祖は東明聖王(朱蒙)です。ちなみに好太王の碑文は西暦400年ごろのもので、三国史記は12世紀に編纂された書物。
日本書紀好太王の碑文に共通することが三国史記には違う名前が書かれているんだから、三国史記がどこまで正しいのかはある程度は疑った方がいいでしょうね。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集