天智天皇(三十二)金東厳の帰国・沙門道行が草薙剣を盗む

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天智天皇(三十二)金東厳の帰国・沙門道行が草薙剣を盗む

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原文

十一月辛巳朔、賜新羅王絹五十匹・綿五百斤・韋一百枚、付金東嚴等。賜東嚴等物、各有差。乙酉、遣小山下道守臣麻呂・吉士小鮪於新羅、是日金東嚴等罷歸。是歲、沙門道行、盜草薙劒逃向新羅、而中路風雨荒迷而歸。

現代語訳

(即位7年)11月1日。新羅王に絹五十匹・綿五百斤・韋(オシカワ=なめし皮)一百枚を与えました。金東厳(キントウゴン)たちに品物を与えました。それぞれに品物がありました。
11月5日。小山下の道守臣麻呂(チモリノオミマロ)・吉士小鮪(キシノオシビ)を新羅へ派遣しました。この日に金東厳たちは帰りました。
この年、沙門(ホウシ=法師)の道行(ドウギョウ)は草薙剣(クサナギノツルギ)を盗んで新羅に逃げて行きました。しかし、途中の道で雨風に会って、迷って帰りました。
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解説

金東厳
二ヶ月前(9月)に新羅から日本に来て、日本から船を与えられています。

日本と新羅は白村江との戦いでの敵なハズなんですが、これらの記事を読む限り関係は悪化しているようには見えません。
新羅は唐の服を着て、唐風の名に改名にした完全な属国です。だから唐の朝鮮半島での策略に巻き込まれ、百済を攻めた…ようにも見えますが、高句麗・百済を征伐するように要請したのは新羅ですからね。
草薙剣の盗難
草薙剣を新羅が盗む、って妙ですよね。新羅は関係ないハズです。仮に草薙剣を新羅が「必要としている」ならば、新羅は「日本的文化」だったと考えないといけません。
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