天智天皇(三十三)耽羅の久麻伎の来日・山科で猟

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天智天皇(三十三)耽羅の久麻伎の来日・山科で猟

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現代語訳

即位8年春1月9日。蘇我赤兄臣(ソガノアカエノオミ)を筑紫率(ツクシノカミ)に任命しました。
3月11日。耽羅(タムラ=済州島)は王子の久麻伎(クマキ)たちを派遣して、貢(ミツキ)を献上しました。
3月18日。耽羅王の五穀(イツツノタナツモノ)の種子を与えました。この日に王子の久麻伎は帰りました。
夏5月5日。天皇は山科野(ヤマシナノノ=京都市東山区山科)で猟(カリ)をしました。大皇弟(ヒツギノミコ=大海人皇子=のちの天武天皇)と藤原内大臣(フジワラノウチツマヘツキミ)と群臣(マヘツキミタチ=臣下たち)は皆、全員が従者として付いて行きました。
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解説

藤原内大臣
即位8年10月に「藤原姓」を与えらているので、ここではまだ「中臣」でないとおかしい。おそらく記事自体は10月以降に書かれたものを引用しているのではないか?
となると、日本書紀はネタ本を切り貼りしていると考えるべきではないかと。
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原文

八年春正月庚辰朔戊子、以蘇我赤兄臣拜筑紫率。三月己卯朔己丑、耽羅、遣王子久麻伎等貢獻。丙申、賜耽羅王五穀種、是日、王子久麻伎等罷歸。夏五月戊寅朔壬午、天皇、縱獵於山科野。大皇弟・藤原內大臣及群臣皆悉從焉。
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