天智天皇(三十八)法隆寺の火事と童謡・申の亀・水碓

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天智天皇(三十八)法隆寺の火事と童謡・申の亀・水碓

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原文

夏四月癸卯朔壬申夜半之後、災法隆寺、一屋無餘。大雨雷震。五月、童謠曰、
于知波志能 都梅能阿素弭爾 伊提麻栖古 多麻提能伊鞞能 野鞞古能度珥
伊提麻志能 倶伊播阿羅珥茹 伊提麻西古 多麻提能鞞能 野鞞古能度珥

六月、邑中獲龜、背書申字、上黃下玄、長六寸許。秋九月辛未朔、遣阿曇連頰垂於新羅。是歲、造水碓而冶鐵。

現代語訳

(即位9年)夏4月30日。夜半之後(アカツキ=暁)に法隆寺に火災がありました。一つの家屋も残ることがありませんでした。大雨が降り、雷が鳴りました。

5月に童謡で言いました。
打ち橋の 集落(ツメ)の遊(アソビ)に 出でませ子 玉手(タマデ)の家の 八重子の刀自(トジ) 出でましの 悔(クイ)はあらじぞ 出でませ子 玉手の家の 八重子の刀自
歌の訳
板をかけただけの簡易的な「打ち橋」の詰所まで出てきた子。その子は玉手(=立派な人)の家の八重子の刀自(=中年の婦人)さん。出てきても後悔はありませんよ。出てきた子は玉手の家の八重子の刀自さん。

6月。村の中で亀を得ました。背中に申(シン)の字が記してありました。上は黄色く、下は黒い。長さは6寸ほど。
秋9月1日に阿曇連頰垂(アズミノムラジツラタリ)を新羅に派遣しました。
この年、水碓(ミズウス)を作って、治鉄(カネワカス)をしました。
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解説

童謡の意味
この童謡と法隆寺の火事とどういう関係があるのか?はよく分かっていません。ところで「刀自」というのは、昔の言葉で「中年の婦人」という意味なのですが、法隆寺を建立したとされる聖徳太子の妃の一人に「刀自古郎女(トジコノイラツメ)」という女性がいます。聖徳太子とこの刀自古郎女との間に生まれたのが、蘇我氏に攻められ自殺した山背大兄王です。
刀自というのは、この女性を意味しているんでしょう。

おそらくですが、法隆寺にいるこの刀自の霊体を「火事があるから」、外に遊びに連れ出すというのが童謡の歌の意味でしょう。ただそれだけじゃ弱い。

もしかすると法隆寺の尼や僧に、聖徳太子の子孫がいたとか?それが公然の秘密としてあって、それを童謡に込めた?とか??
水碓
水車を回して、フイゴを吹いて製鉄をする技術?
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