天智天皇(四十六)沙門道久と筑紫君薩野馬と韓嶋勝娑婆と布師首磐の報告

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天智天皇(四十六)沙門道久と筑紫君薩野馬と韓嶋勝娑婆と布師首磐の報告

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原文

十一月甲午朔癸卯、對馬国司、遣使於筑紫大宰府、言「月生二日、沙門道久・筑紫君薩野馬・韓嶋勝娑婆・布師首磐四人、從唐來曰『唐国使人郭務悰等六百人・送使沙宅孫登等一千四百人、總合二千人乘船卌七隻、倶泊於比智嶋、相謂之曰、今吾輩人船數衆、忽然到彼、恐彼防人驚駭射戰。乃遣道久等預稍披陳來朝之意。』」

現代語訳

(即位10年)11月10日。対馬国司(ツシマノクニノイコトモチ)は使者を筑紫太宰府(ツクシノオオキミコトモチノツカサ)に派遣して言いました。
「月が生まれて2日に、沙門(ホウシ)の道久(ドウク)・筑紫君薩野馬(ツクシノキミサチヤマ)・韓嶋勝娑婆(カラシマノスグリサバ)・布師首磐(ヌシノオビトイワ)の4人は唐から来て言いました。
『唐国の使者の郭務悰(カクムソウ)たち600人、送迎の使者の沙宅孫登(サタクソントウ)など1400人、合わせて2000人が船74隻に乗って、一緒に比智嶋(ヒチシマ=朝鮮の巨済島西南?)に停泊して、語り合って言いました。

今、我らの人と船は数が多い、忽然とあの土地に到着すれば、おそらくは、あの土地の防人(サキモリ)は驚いて、射て戦うだろうと言う。そこで道久(ドウク)たちを派遣して、あらかじめ朝廷に伺う心を陳情しよう』
と言いました」
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解説

対馬から筑紫の太宰府に人が派遣された時に、報告がありました。
「月が生まれた」ってのは一日のことです。日本では一ヶ月は「新月から満月になって、新月になる」までが「1ヶ月」です。よって月の初めはいつも「新月」で真っ暗。だから「月が生まれる」ってのは月初めのことを指します。
その2日に4人が唐からやって来て、その4人が言うには、郭務悰が日本に来るんだけど、2000人で来たから、いきなりそのまま日本に来たら戦争になりかねないから、ちょっと前もって2000人で行くよって伝えないといけないよね、みたいな話になってるよって報告があったわけです。

この話の問題は、まず
「この時点でも唐と交流がある」というとこ。
戦争したはずなんだけど、日本と唐は交流があって、やりとりがあった。

次の問題は、唐が戦争を避けようとしていたってこと。2000人は人数としてはかなり多いです。単なる使者というのは無理がある。でも、2000人で日本を攻め滅ぼせられるかというと、それも無理がある。だから、日本に圧力をかけたいけど、戦争はしたくない、ってのが唐の本音でしょう。
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