天武天皇(一)出自と正妃

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天武天皇(一)出自と正妃

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原文

天渟中(渟中此云農難)原瀛眞人天皇、天命開別天皇同母弟也。幼曰大海人皇子。生而有岐㠜之姿、及壯雄拔神武、能天文遁甲。納天命開別天皇女菟野皇女、爲正妃。天命開別天皇元年、立爲東宮。

現代語訳

天渟中原瀛真人天皇(アマノヌナハラオキノマヒトノスメラミコト)…
渟中は農難(ヌナ)と言います。

天命開別天皇(アメミコトヒラカスワケノスメラミコト=天智天皇)の同母弟です。幼い時には大海人皇子(オオシアマノミコ)と言います。生まれた時から岐㠜(イコヨカ=しっかりした)な姿でした。想念になり、雄々しくなり、神武(タケ=人間離れした武勇)しいものでした。天文(テンモン=占星術の一種)や遁甲(ドンコウ=占星術の一種)が出来ました。天命開別天皇(=天智天皇)の娘の菟野皇女(ウノノヒメミコ)を召し入れて、正妃(ムカヒメ)としました。天命開別天皇(天智天皇)の元年に、東宮(マウケノキミ=皇太子)と成りました。
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解説

天渟中原瀛真人天皇
天渟中原瀛真人天皇は天武天皇の和風諡号です。この「真人」は道教の中で特別な名前です。「封神演義」という小説を読んだら出てきます。この真人は684年(天武天皇13年)に制定された八色の姓の一つで、最高位の姓です。真人は天皇の親族にのみ与えられた位です。

ということで、天武天皇は道教に傾倒していたよ、というのが定説になっています。一方、天智天皇と孝徳天皇は「儒教を勉強していた」と書いてありましたから、儒教を信奉していました。

私は天智天皇と孝徳天皇が儒教に傾倒していたことが、百済救援をしなくちゃいけなくなり、それが後の日本のパニックを引き起こした。また儒教と古来の日本の「和」は水と油のように全然違うものです。儒教に傾倒した孝徳天皇・天智天皇から揺り戻した結果が天武天皇の「道教」だったんじゃないかと思います。
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