天武天皇(五)朝廷は美濃と尾張で兵を集める・候を置いて食料を絶つ

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天武天皇(五)朝廷は美濃と尾張で兵を集める・候を置いて食料を絶つ

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現代語訳

(即位元年5月)この月、朴井連雄君(エノイノムラジオキミ)は天武天皇に申し上げて言いました。
「私め、私用の事で独りで美濃に行きました。その時、朝廷(ここでは大友皇子の朝廷の事)は美濃・尾張の二つの国司に言いました。
『山陵(ミサザキ=天智天皇の墓)を作るために、あらかじめ人夫(オオミタカラ)を定めなさい』
すぐに、一人一人に兵器を持たせました。私めが思うに、山陵のためではありません。必ず、大事があるでしょう。もし、速やかに避けないならば、危険なことになります」
あるいは別の人が申し上げて言いました。
「近江京(オウミノミヤコ)から倭京(ヤマトノミヤコ)まで、ところどころに候(ウカミ=監視)を置いています。また、菟道(ウジ)の守橋者(ハシモリ)に命じて、皇大弟(マウケノキミ=大海人皇子=天武天皇)の宮の舎人(トネリ=従者)の私的な粮(クライモノ=食料)を運ぶのを遮断しようとしています」
天皇は恐れて、問い合わせ、視察させ、報告が事実だと知りました。それで詔(ミコトノリ)して言いました。
「朕(ワレ)、天皇位を譲り、世を隠遁した理由は、独り病気を治療し、身体を健康にして、永遠に100年を過ごして終わらせようと思っていた。しかし、今、やむをえず禍(ワザワイ)を受けている。どうして黙って身を滅ぼすのか」
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解説

墓と戦争
大友皇子の朝廷は「お墓を作るから、人を集めなさい」と言いつつ、集めた人に武器を持たせました。これは戦争が始まる予兆です。
ちなみに、これまでも朝鮮征伐から帰ってきた神功皇后を迎え撃った麛坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマノミコ)が兵士を集める時も「お墓を作って」兵を集めています。

また、追い詰められた人物が「墓に逃げ込む」ということがちょくちょく見られます。戦争と墓が結びついているのでしょう。
補給路を断つ
天武天皇が仏門に入り、吉野に隠遁した、ということを「引退」とは受け取らなかったからでしょう。天智天皇は許したけども、大友皇子とその周囲の人間はそうは考えなかった。
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原文

是月、朴井連雄君、奏天皇曰「臣、以有私事、獨至美濃。時、朝庭宣美濃・尾張兩国司曰、爲造山陵、豫差定人夫。則人別令執兵。臣以爲、非爲山陵必有事矣、若不早避當有危歟。」或有人奏曰「自近江京至于倭京、處々置候。亦命菟道守橋者、遮皇大弟宮舍人運私粮事。」天皇惡之、因令問察、以知事已實。於是詔曰「朕、所以讓位遁世者、獨治病全身永終百年。然今不獲已應承禍、何默亡身耶。」
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