天武天皇(七)留守司の高坂王の駅鈴

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天武天皇(七)留守司の高坂王の駅鈴

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原文

甲申、將入東時、有一臣奏曰「近江群臣元有謀心、必害天下、則道路難通。何無一人兵徒手入東。臣恐、事不就矣。」天皇從之、思欲返召男依等。卽遣大分君惠尺・黃書造大伴・逢臣志摩、于留守司高坂王而令乞驛鈴。因以、謂惠尺等曰「若不得鈴、廼志摩還而覆奏。惠尺、馳之往於近江、喚高市皇子・大津皇子逢於伊勢。」既而惠尺等至留守司、舉東宮之命乞驛鈴於高坂王。然不聽矣、時惠尺往近江。志摩乃還之復奏曰「不得鈴也。」

現代語訳

(即位元年)6月24日。東国に入ろうとしました。その時に一人の臣下が居て、申し上げて言いました。
「近江の群臣(マヘツキミタチ=臣下たち)は元から謀反の心がある。必ず、天下に害するだろう。道路は(塞がれ)、通りにくくなるでしょう。どうして一人の兵士もなく、徒手で東国に入れるでしょうか。私めが恐れるのは、このまま事が成らないということです」
天皇はその言葉に従って、男依(オヨリ=村国連男依)たちを帰ってくるように呼び寄せようと思いました。すぐに大分君恵尺(オオキダノキミエサカ)・黄書造大伴(キフミノミヤツコオオトモ)・逢臣志摩(アウノオミシマ)を、留守司(トドマリマモルツカサ)の高坂王(タカサカノオオキミ)の元へ派遣して、駅鈴(ウマヤノスズ)を求めさせました。それで恵尺(エサカ)たちに語って言いました。
「もしも鈴を得られなかったならば、志摩(シマ)は帰って、報告を死なさい。恵尺(エサカ)は馬を走らせて、近江に行き、高市皇子(タケチノミコ)・大津皇子(オオツノミコ)を呼び寄せて、伊勢で会いなさい」
恵尺たちは留守司(=高坂王)の元に到着して、東宮の命令を上げて、駅鈴を高坂王に乞いました。しかし、聞き入れませんでした。その時、恵尺は近江に行きました。志摩はすぐ帰って、報告して言いました。
「鈴は得られませんでした」
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解説

駅鈴
国は道で繋がっていて、その道には駅がありました。駅と駅の間は「馬」で繋がっていて、情報が伝播するようになっていました。駅伝ですね。
留守司
留守司ってのは、大和を管理する立場のことです。何が留守なのかっていうと、この時、近江に都が移っていました。でも大和も伝統的に「都」ですから、実質、都が複数ある状態です。それで天皇は近江にいて、大和は留守なわけですから、大和の都の管理のことを「留守司」というわけです。
このくだりは、よく分からない
高坂王はこのページでは、大海人皇子に駅鈴を渡さなかったから、まぁ、味方ではないことになっているんですが、その後は大海人皇子に合流します。では、どうしてここで駅鈴を渡すのを断ったのか? いや、駅鈴を渡す渡さないってのがどういう意味があるのか。実はハッキリしてません。

話の経緯から考えると、駅鈴を渡す、渡さないってのは、近江朝廷に対して、大和朝廷を起こすかどうか、ってことかな?とは思います。でも、それはさすがにマズイと高坂王に断られた。美濃で軍隊を起こす手はずは整っていても、この時点では大海人皇子は舎人(=従者)が何人かいる程度のことで、高坂王が、仮にこれ以前に大海人皇子と意思疎通があったとしても、
「いや、まだ、そこは勘弁してくださいよ」
と断られても仕方ないでしょう。
このページでの書き方を見ても、高坂王が断っても、それはそれでしょうがないと思える程度のことという感じがします。
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