天武天皇(八)東国へ・最初から従っていた臣・合流した臣・隱駅家を焼く

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天武天皇(八)東国へ・最初から従っていた臣・合流した臣・隱駅家を焼く

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現代語訳

(即位元年6月24日)この日に大海人皇子は出発して東国に入りました。事は急いでいたので、駕(オオミマ=天皇が乗るカゴや車)を待たずに、歩いて行きました。すると県犬養連大伴(アガタイヌカイノムラジオオトモ)の鞍馬(クラオケルウマ)と出会って、それに乗りました。皇后(=菟野皇女=のちの持統天皇)は輿(コシ=乗り物)に乗せて、従いました。
津振川(ツフリカワ=奈良県吉野郡吉野町津風呂?)に到着して、車駕(オオミマ=天皇が乗る車)が初めて到着しました。すぐに乗りました。

この時に、最初から従っていた人は
草壁皇子(クサカベノミコ=天武天皇の子)
忍壁皇子(オサカベノミコ=天武天皇の子)
舍人の朴井連雄君(エノイノムラジオキミ)
県犬養連大伴(アガタノイヌカイノムラジオオトモ)
佐伯連大目(サエキノムラジオオメ)
大伴連友国(オオトモノムラジトモクニ)
稚桜部臣五百瀬(ワカサクラベノオミイホセ)
書首根摩呂(フミノオビトネマロ)
書直智徳(フミノアタイチトコ)
山背直小林(ヤマシロノアタイオバヤシ)
山背部小田(ヤマシロベノオダ)
安斗連智徳(アトノムラジチトコ)
調首淡海(ツキノオビトオウミ)の類(トモガラ=仲間)の20人余り、女孺(メノワラワ=女官)10人余りです。
その日の菟田吾城(ウダノアキ)に到着しました。大伴連馬来田(オオトモノムラジマグタ)・黄書造大伴(キフミノミヤツコオオトモ)は吉野宮から追って到着しました。この時に、屯田司(ミタノツカサ)の舎人の土師連馬手(ハジノムラジウマテ)は従者たちの食べ物を献上しました。
甘羅村(カムラノムラ=奈良県宇陀宇陀町神楽岡?)を過ぎた頃には、猟者(カリビト)は20人余りいました。大伴朴本連大国(オオトモノエノモトノムラジオオクニ)は猟者の首長です。すぐに全員を呼び寄せて、従者にしました。また、美濃王を呼び寄せました。すぐに参上して従いました。湯沐(ユ)の米を運ぶ、伊勢国の駄(ニオイウマ)50匹と、菟田郡家(ウダノコオリミヤケ)のほとりで会いました。そこで米を全部捨てて、歩いていた人を乗せました。大野に到着すると日が暮れました。山が暗くなって、進み行くことはできませんでした。その邑(ムラ)の家の籬(マガキ=垣根)を壊して、灯りを取りました。夜中になって隱郡(ナバリノコオリ=現在の三重県名賀郡と名張市)に到着して、隱駅家(ナバリノウマヤ)を焼きました。それで邑(ムラ)の中で叫びました。
「天皇は東国に入る!
人夫(オオミタカラ)は諸々、参り出なさい!」
しかし一人も来ませんでした。
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解説

どんどんと合流します。しかし、税の米を運ぶ人たちを襲い、馬を手に入れたり、吉野と伊勢の間にある隱駅家(=名張市の駅家)を襲い、情報伝達を途絶させました。どれも、まぁ殺し合いですからね、しょうがないんですよ。そうしないと大海人皇子が殺されますからね。でも、無関係の人からすれば、ドン引きでしょうね。
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原文

是日、發途入東国。事急不待駕而行之、儵遇縣犬養連大伴鞍馬。因以、御駕、乃皇后載輿從之。逮于津振川、車駕始至、便乘焉。是時元從者、草壁皇子・忍壁皇子、及舍人朴井連雄君・縣犬養連大伴・佐伯連大目・大伴連友国・稚櫻部臣五百瀬・書首根摩呂・書直智德・山背直小林・山背部小田・安斗連智德・調首淡海之類、廿有餘人・女孺十有餘人也。卽日、到菟田吾城。大伴連馬來田・黃書造大伴、從吉野宮追至。於此時、屯田司舍人土師連馬手、供從駕者食。過甘羅村、有獵者廿餘人、大伴朴本連大国爲獵者之首。則悉喚、令從駕。亦徵美濃王、乃參赴而從矣。運湯沐之米伊勢国駄五十匹、遇於菟田郡家頭。仍皆棄米、而令乘步者。到大野以日落也、山暗不能進行、則壤取當邑家籬爲燭。及夜半到隱郡、焚隱驛家、因唱邑中曰「天皇入東国、故人夫諸參赴。」然一人不肯來矣。
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