天武天皇(九)横河に黒雲・伊賀→莿萩野→積殖→鈴鹿

MENU
TOP>天武天皇(日本書紀28)>天武天皇(九)横河に黒雲・伊賀→莿萩野→積殖→鈴鹿

天武天皇(九)横河に黒雲・伊賀→莿萩野→積殖→鈴鹿

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

現代語訳

横河(ヨコカワ=現在の名張川?)に到着するという時に黒雲がありました。広さは10丈余りが天に広がっていました。その時、天皇は不思議に思いました。すぐに灯りを挙げて、自ら式(チク=陰陽の占いの道具)を取り、占って言いました。
「天下は二つに分かれる兆しだ。しかし朕(ワレ)が最後には天下を得る」
すぐに急いで行き、伊賀郡(イガノコオリ=現在の三重県名賀郡)に到着して、伊賀駅家(イガノウマヤ)を焼きました。伊賀の中山に到着して、その国の郡司(コオリノミヤツコ)たちが数百の衆(イクサ=軍)を率いて集まりました。夜明けごろ、莿萩野(タラノ)に到着して、しばらく駕(ミユキ=天皇の乗る乗り物)を停めて、食事をしました。積殖(ツムエ=三重県阿山郡伊賀町柘植)の山の入り口に到着して、高市皇子(タケチノミコ)は鹿深(カフカ=滋賀県甲賀郡)を越えて合流しました。民直大火(タミノアタイオオヒ)・赤染造徳足(アカソメノミヤツコトコタリ)・大蔵直広隅(オオクラノアタイヒロスミ)・坂上直国麻呂(サカノウエノアタイクニマロ)・古市国麻呂(フルイチノクロマロ)・竹田大徳(タケダノダイトク)・胆香瓦臣安倍(イカゴノオミアヘ)が従者です。
大山(オオヤマ)を越えて、伊勢の鈴鹿に到着しました。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

解説

黒雲が立ち込め、天武天皇が自ら、その吉兆を占いました、天智天皇が儒教を信奉していたのに対して、天武天皇は和風諡号に「真人」という道教に関係するとされる言葉が入っていることから、天武天皇は道教を信奉していたとも言われます。ここでは陰陽道の占いをしています。おそらく天武天皇の真人や陰陽というのは、天智天皇の儒教に対する「否定」であって、道教や陰陽道を特別視した、ってのとは違うんじゃないかと思います。
スポンサードリンク

原文

將及横河有黑雲、廣十餘丈經天。時、天皇異之、則舉燭親秉式占曰「天下兩分之祥也。然朕遂得天下歟。」卽急行到伊賀郡、焚伊賀驛家。逮于伊賀中山、而當国郡司等率數百衆歸焉。會明至莿萩野、暫停駕而進食。到積殖山口、高市皇子、自鹿深越以遇之。民直大火・赤染造德足・大藏直廣隅・坂上直国麻呂・古市黑麻呂・竹田大德・膽香瓦臣安倍、從焉。越大山、至伊勢鈴鹿。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

編集