天武天皇(十三)当摩公広嶋の暗殺・栗隅王の暗殺未遂

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天武天皇(十三)当摩公広嶋の暗殺・栗隅王の暗殺未遂

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現代語訳

磐手(=樟使主盤磐手)は吉備国に到着して、符(オシテノフミ=上の官庁から下の官庁に出す文書)を授ける日に、広嶋(=当摩公広嶋)を欺いて、刀を解かせました。磐手(=樟使主盤磐手)は刀を抜いて殺しました。男(=佐伯連男)は筑紫に到着しました。その時、栗隅王は府(オシテノフミ)を受けて答えて言いました。
「筑紫国は昔から辺境の賊の難(ワザワイ)から守る土地です。城を高く、隍(ミゾ)を深くして、海に臨んで守ろうとするのは、国内の賊(アタ=敵)のためでありましょうか(違います)。今、命令を畏まって受けて、軍を起こせば、筑紫国を空にすることになります。もし、不意に、にわかに事件が起これば、社稷(クニ=国)が傾いてしまうでしょう。そうして後に百人の臣(ヤツカレ)を殺したとしても、どんな利益があるのでしょうか。どうして私が徳(イキオイ=天皇の意思)に背くというのでしょうか。たやすく兵を動かさないのは、このためです」
その時、栗隈王の二人の子は、三野王(ミノノオオキミ)・武家王(タケイエノオオキミ)は剣を、身につけていて、側に立っていて退くことはありませんでした。男(=佐伯連男)は剣をしっかりと握って進もうとすれば、かえって殺されるだろうと恐れました。それで事を成すことは出来ず、虚しく帰りました。東の方の駅使(ハイマヅカイ)の磐鍬(イワスキ=韋那公磐鍬)たちは不破に到着しようという時に、磐鍬は一人、山中に兵がいると疑って、やや遅れて行きました。その時、伏兵が山から出てきて、薬(クスリ=書直薬)たちの後ろを遮断しました。磐鍬はそれを見て、薬たちが捕らわれたと知って、引き返して逃走して、なんとか脱出することができました。
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解説

広嶋の暗殺
刀を解かせて、丸腰にしてから殺す、というのは、ヤマトタケルvsイズモタケル、蘇我入鹿暗殺にも見られるパターンです。この暗殺方法は伝統的な暗殺なのかも。
栗隅王
栗隅王は元は大海人皇子に従っていた過去があると前のページにありました。だから放置しておけば、大海人皇子に味方すると大友皇子は考えたんでしょう。

よく壬申の乱についての本を読むと、栗隅王は筑紫国の「防衛」を理由にして、「中立」を保ったと書いてあるのですが、日本書紀のこのページを読む限り、それはちょっと違うのではないか?と思います。

このページを読む限り、近江王朝は明らかに「栗隅王を殺す気は満々」と言った感じです。殺そうとしたけども、子供達が守護していて、殺せなかった。ただ、それだけの事。「筑紫を防衛する」というのは栗隅王がそう発言したことを記述しただけではないかと。

ここで栗隅王を殺せなかった。ということは、近江王朝は絶えず、九州を守護する兵隊が、後ろから攻めてくる可能性がある、という状態を抱えて大海人皇子と対峙することになった。その事情を多くの臣下たちは知る。そうなれば、大海人皇子へと流れやすくなった。

栗隅王は実質、壬申の乱には関わらなかった。でも、最強のアシストだったのではないかなと。
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原文

於是、磐手、到吉備国授苻之日、紿廣嶋令解刀。磐手、乃拔刀以殺也。男、至筑紫時、栗隈王、承符對曰「筑紫国者、元戍邊賊之難也。其峻城深隍臨海守者、豈爲內賊耶。今畏命而發軍、則国空矣。若不意之外有倉卒之事、頓社稷傾之。然後雖百殺臣、何益焉。豈敢背德耶、輙不動兵者其是緣也。」時、栗隈王之二子、三野王・武家王、佩劒立于側而無退。於是、男、按劒欲進還恐見亡、故不能成事而空還之。東方驛使磐鍬等、將及不破。磐鍬、獨疑山中有兵、以後之緩行。時、伏兵自山出、遮藥等之後。磐鍬、見之知藥等見捕、則返逃走、僅得脱。
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