天武天皇(十四)大伴連馬來田と吹負は近江王朝を捨てる

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天武天皇(十四)大伴連馬來田と吹負は近江王朝を捨てる

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原文

當是時、大伴連馬來田・弟吹負、並見時否、以稱病退於倭家。然知其登嗣位者必所居吉野大皇弟矣。是以、馬來田、先從天皇。唯吹負、留謂立名于一時欲寧艱難。卽招一二族及諸豪傑、僅得數十人。

現代語訳

この時、大伴連馬来田(オオトモノムラジマグタ)・弟の吹負(フケイ)は一緒に、その時の否(ヨクモアラヌ=ここでは失敗の意味)を見て、病気を自称して、倭の家に退いて帰りました。そうしてその登嗣位(アマツヒツギシラサム=天皇位に就く)のは、必ず吉野に居る、大皇弟(マウケノキミ=大海人皇子)だということがわかりました。それで、馬来田(マグタ)は先立って天武天皇に従いました。ただし、吹負(フケイ)だけは留まって考えて、まずは名を立ててから、艱難(ワザワイ=困難)をやわらげようと、思いました。すぐに一人、二人の族(ヤカラ=親族や仲間)や、諸々の豪傑を呼び寄せて、数十人を得ました。
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解説

前のページのラストに、岐阜県不破郡の山の道で、大海人皇子の仲間に襲われて、這々の態で逃げたというお話が近江朝廷に伝わったのでしょう。それを聞いた、大伴連馬来田の兄弟は近江朝廷を捨てて、大海人皇子に味方します。

大海人皇子に着いた理由の中には、近江王朝が栗隈王を殺せなかったこともあったのではないかと思います。

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