天武天皇(十七)飛鳥寺の陣営の内応・穂積臣百足の殺害・軍を整備し乃楽へ

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天武天皇(十七)飛鳥寺の陣営の内応・穂積臣百足の殺害・軍を整備し乃楽へ

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原文

是日、大伴連吹負、密與留守司坂上直熊毛、議之謂一二漢直等曰「我詐稱高市皇子、率數十騎、自飛鳥寺北路出之臨營。乃汝內應之。」既而繕兵於百濟家、自南門出之。先秦造熊、令犢鼻而乘馬馳之、俾唱於寺西營中、曰「高市皇子、自不破至。軍衆多從。」爰、留守司高坂王及興兵使者穗積臣百足等、據飛鳥寺西槻下、爲營。唯百足、居小墾田兵庫、運兵於近江。時、營中軍衆、聞熊叫聲、悉散走。仍大伴連吹負、率數十騎劇來。則熊毛及諸直等共與連和、軍士亦從。乃舉高市皇子之命、喚穗積臣百足於小墾田兵庫。爰、百足乘馬緩來、逮于飛鳥寺西槻下、有人曰「下馬也。」時百足、下馬遲之。便取其襟以引墮、射中一箭、因拔刀斬而殺之。乃禁穗積臣五百枝・物部首日向、俄而赦之置軍中。且喚高坂王・稚狹王而令從軍焉。既而遣大伴連安麻呂・坂上直老・佐味君宿那麻呂等於不破宮、令奏事狀。天皇大喜之、因乃令吹負拜將軍。是時、三輪君高市麻呂・鴨君蝦夷等及群豪傑者、如響悉會將軍麾下。乃規襲近江、撰衆中之英俊爲別將及軍監。庚寅、初向乃樂。
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現代語訳

この日(即位元年6月29日)、大伴連吹負(オオトモノムラジフケイ)は密かに留守司(トドマリマモルツカサ)の坂上直熊毛(サカノウエノアタイクマケ)と合議して、1つか2つの漢直(アヤノアタイ=ここでは漢直の分家氏族のこと)たちに語って言いました。
「我が、偽って、高市皇子(タケチノミコ)と名乗り、数十騎を率いて、飛鳥寺の北の道から出て、陣営を臨もう。すぐにお前たちは内応しなさい」
兵(ツワモノ=兵器)を百済の家で修繕して用意して、南の門から出ました。先に秦造熊(ハダノミヤツコクマ)に犢鼻(タフサギ=ふんどし)だけにして、馬に乗せて走り、寺の西の陣営の中で唱和させました。
「高市皇子が不破から到着しました!
軍衆(イクサノヒトドモ=軍兵)の多くが従ったぞ!」
留守司の高坂王(タカサカノオオキミ)と兵を起こした使者の穗積臣百足(ホズミノオミモモタリ)たちは、飛鳥寺の西の槻(ツキ)の木の下に集まって、陣営を作りました。ただし百足(モモタリ)だけは小墾田(オハリダ)の兵庫(ツワモノグラ)に居て、兵(ツワモノ=武器)を近江に運びました。その時に陣営の中の軍衆は熊が叫ぶ声を聞いて、ことごとく散って逃げました。大伴連吹負(オオトモノムラジフケイ)は数十の騎(イクサ=騎馬)を率いて、やって来ました。熊毛(クマケ)と諸々の直(アタイ)たちは共に連和(ウルワシ=連合を組む)しました。軍士(イクサノヒトドモ)も従いました。高市皇子の命令と称して、穂積臣百足を小墾田の兵庫に呼び寄せました。百足は馬に乗って、ようやっと来ました。飛鳥寺の西の槻(ツキ)の下に到着すると、人が言いました。
「馬から下りなさい」
その時、百足は馬から降りるのが遅かった。すぐにその襟(キヌノクビ)を取り、引きずり落として、弓で射って一箭(ヒトサ=矢)を当てました。刀を抜いて斬り殺しました。穗積臣五百枝(ホズミノオミイホエ)・物部首日向(モノノベノオビトヒムカ)を捉えて監禁しました。しばらくして許して、軍の中に置きました。また、高坂王(タカサカノオオキミ)・稚狹王(ワカサノオオキミ)を呼び寄せて、軍に従わせました。大伴連安麻呂(オオトモノムラジヤスマロ)・坂上直老(サカノウエノアタイオキナ)・佐味君宿那麻呂(サミノキミスクナマロ)たちを不破宮(フワノミヤ=野上の宮)の派遣して、事の状況を報告させました。天皇はとても喜びました。吹負(フケイ)に命じて、将軍にしました。この時、三輪君高市麻呂(ミワノキミタケチマロ)・鴨君蝦夷(カモノキミエミシ)たち、および諸々の豪傑の人たちが、声が響くように皆が将軍の旗印の下に集まりました。近江を襲おうと計画しました。衆(イクサ=兵)の中の英俊(スグレタルヒト)を選んで、別将(スケノイクサノキミ=補助の将軍)と軍監(マツリゴトヒト=軍を運営する人)としました。
7月1日にまず乃楽(ナラ=奈良市)に向かいました。
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解説

大伴連吹負は高市皇子のふりをして、兵を集めることにしました。秦造熊をふんどし一丁にして馬に乗せて走らせました。そして「不破」から高市皇子が来たぞ! と叫ばせた。

不破ってのは東国。東国ってのは、当時の日本では「蝦夷」が跋扈する地域、というイメージです。日本人は穢れを嫌い、死に関することを嫌いました。だから兵隊もしたくないのです。ところが蝦夷はそんな「穢れ信仰」がありませんから、金さえ貰えるなら兵士になって一旗あげようって人もたくさんいました。だから
「東国から高市皇子が来た!」
とふんどし一丁の男が叫んでいたら、もう、蝦夷で増員した大軍がやって来たと皆が思うわけです。ふんどし一丁ってのは当時の日本人の「蝦夷のイメージ」なんでしょう。野蛮だからふんどし一丁みたいな。そんであまりに恐ろしくて、兵たちが逃げてしまった。「戦わずして勝つ」ってのはこのことです。

徐々に天武天皇の陣営は増えます。ところがその中で穗積臣百足だけは、近江朝廷と日和見していたのでしょうね。武器を近江に運んでいた。そこで穗積臣百足を「高市皇子が呼んでるから!」と呼び出されて、結局殺されてしまいます。

もういよいよ、兵が集まっていて、
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