天武天皇(十八)倭と近江へ兵を・赤色を衣の上に着る

MENU
TOP>天武天皇(日本書紀28)>天武天皇(十八)倭と近江へ兵を・赤色を衣の上に着る

天武天皇(十八)倭と近江へ兵を・赤色を衣の上に着る

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

現代語訳

(即位元年)秋7月2日。天皇は紀臣阿閉麻呂(キノオミアヘマロ)・多臣品治(オオノオミホムジ)・三輪君子首(ミワノキミコビト)・置始連菟(オキソメノムラジウサギ)を派遣して、数万の衆(イクサ=兵)を率いて、伊勢の大山(オオヤマ)を越えて倭(ヤマト)へ向かわせました。また、村国連男依(ムラクニノムラジオヨリ)・書首根麻呂(フミノオビトネマロ)・和珥部臣君手(ワニベノオミキミテ)・胆香瓦臣安倍(イカゴノオミアヘ)を派遣して、数万の衆(イクサ=兵)を率いて、不破から出て、直に近江に入らせました。その衆(イクサ)が近江の師(イクサ=兵)と、区別が付きづらくなるのを恐れて、赤色を衣服の上に着用しました。そうして後に、別に多臣品治に命じて、3000人の衆(イクサ)を率いて、莿萩野(タラノ)に駐屯させました。田中臣足麻呂(タナカノオミタリマロ)を派遣して、倉歴道(クラウノミチ=三重県阿山郡伊賀町柘植から滋賀県甲賀郡甲賀町油日へ抜ける道)を守らせました。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

解説

赤色を着る
関ケ原の戦いでも、東軍が勝った要因に「合言葉」というのがありました。東軍西軍と言っても、パっと見た目ではどっちが東軍で西軍かも分からないので、バッタリと出会った時に、敵か味方が分からず混乱します。そこで、合言葉を東軍で周知させておいて、出会ったら「山と言えば山」という合言葉で敵味方の確認をするようにした。それが東軍の勝因の一つとされます。

また明治維新の時には、「官軍」は旗を掲げて戦いました。これが俗に言う「錦の御旗」です。

そういう「分かりやすい目印」を身につけさせた。赤色を身につけた、と言っても赤いマントを身につけるようなことは無いでしょう。この短時間に数万の兵に身につける布を用意することは出来ない。おそらく「赤い何か」を身につけましたよ、ってことです。

ちなみに、日本では伝統的に赤は「聖なる色」です。
スポンサードリンク

原文

秋七月庚寅朔辛卯、天皇遣紀臣阿閉麻呂・多臣品治・三輪君子首・置始連菟、率數萬衆自伊勢大山越之向倭。且遣村國連男依・書首根麻呂・和珥部臣君手・膽香瓦臣安倍、率數萬衆自不破出直入近江。恐其衆與近江師難別、以赤色着衣上。然後、別命多臣品治率三千衆屯于莿萩野、遣田中臣足麻呂令守倉歷道。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

編集