天武天皇(二十一)田辺小隅の夜襲・合言葉は金

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天武天皇(二十一)田辺小隅の夜襲・合言葉は金

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現代語訳

(即位元年)7月5日。近江の別将(スケノイクサノキミ)の田辺小隅(タナヘノオスミ)は鹿深山(カフカノヤマ)を越えて、幟(ハタ)を巻き、鼓を抱いて、倉歴(クラフ=三重県阿山郡伊賀町柘植から滋賀県甲賀郡甲賀町油日へ抜ける道)に到着しました。夜中に梅(クチキ)を口に噛ませて、兵士や馬を黙らせて、城に穴を開けて、陣営の中に入りました。自分の軍兵と足摩侶(タリマロ=田中臣足麻呂=大海人皇子の将で倉歴道を守備していた)の衆(イクサノヒト=兵士)とが区別しにくいのを恐れて、人ごとに「金」と言わせました。
それで刀を抜いて打って、「金」と言わない者を斬り殺しました。それで足摩侶の衆はみんな、混乱しました。どうしようもありませんでした。ただし足摩侶だけは、聡く分かっていて、「金」と言って、どうにか免れることが出来ました。
7月6日。小隅(=田辺小隅)はまた進み、莿萩野(タラノ)の陣営を襲おうとして、急いで到着しました。将軍の多臣品治(オオノオミホムジ)が遮断して、精鋭の兵で追撃しました。小隅は一人、免れて逃げました。以後、もう来ませんでした。
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解説

近江の金・大海人皇子の赤
大海人皇子側は兵士に「赤色」の物を身につけさせて、敵味方の区別としました。

関ヶ原の合戦でも、「山」と言えば「山」という合言葉で敵味方の区別をしたとされます。
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原文

甲子、近江別將田邊小隅、越鹿深山而卷幟抱皷、詣于倉歷。以夜半之、衘梅穿城、劇入營中。則畏己卒與足摩侶衆難別、以毎人令言金。仍拔刀而毆之、非言金乃斬耳。於是、足摩侶衆悉亂之、事忽起不知所爲。唯足摩侶聰知之、獨言金以僅得免。乙未、小隅亦進、欲襲莿萩野營而急到。爰將軍多臣品治遮之、以精兵追擊之。小隅獨免走焉、以後遂復不來也。
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