天武天皇(三十)重罪の8人を極刑・大臣たちの子孫を配流・鉏鉤の自殺について

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天武天皇(三十)重罪の8人を極刑・大臣たちの子孫を配流・鉏鉤の自殺について

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原文

八月庚申朔甲申、命高市皇子宣近江群臣犯狀。則重罪八人坐極刑、仍斬右大臣中臣連金於淺井田根。是日、左大臣蘇我臣赤兄・大納言巨勢臣比等及子孫、幷中臣連金之子・蘇我臣果安之子、悉配流。以餘悉赦之。先是、尾張国司守少子部連鉏鉤、匿山自死之。天皇曰、鉏鉤有功者也、無罪何自死、其有隱謀歟。丙戌、恩勅諸有功勳者而顯寵賞。

現代語訳

(即位元年)8月25日。高市皇子に命じて、近江の群臣(マヘツキミタチ)の犯した罪状を宣べさせました。重罪の8人を極刑にしました。右大臣の中臣連金(ナカトミノムラジカネ)を浅井(アサイ=近江国浅井郡田根郷=現在の滋賀県東浅井郡北部)で斬り殺しました。この日に左大臣の蘇我臣赤兄(ソガノオミアカエ)・大納言の巨勢臣比等(コセノオミヒト)と、その子孫と中臣連金の子、蘇我臣果安(ソガノオミハタヤス)の子は皆、配流(ナガス=島流し)にしました。それ以外は、全員を許しました。
これ以前のことです。尾張国司守(オワリノクニノミコトモチノカミ)の少子部連鉏鉤(チイサコベノムラジサヒチ)は山に隠れて自殺しました。天皇は言いました。
「鉏鉤(サヒチ)は功のある勇ましい者だ。罪も無く、どうして自殺したのか。隠された謀(ハカリコト)があるのではないか」
8月27日。諸々の功が有り、勇ましい人に、恩勅(メグミノミコトノリ)して、ハッキリと褒賞を与えました。
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解説

8人を極刑。蘇我赤兄と巨勢比等と中臣連金と蘇我果安の子孫は島流し。それ以外は赦免。かなり心が広い処置ですよね。

もちろん、相手方を皆殺しにしてしまえば、当面、朝廷の運営そのものが成立しないわけですから、できるだけ寛容な処置をするのが賢明というものでしょう。そもそも吉野方の大海人皇子の周囲には、わずかな舎人しかいなかったのです。それが後々には合流はしたのですが、それでも、王朝の大部分の氏族は近江側だったんじゃないかと。それで殺せなかった、のかもしれません。

もう一つ「日本人は殺せない」というのもあります。日本人は怨霊と祟りを恐れます。この時代には怨霊という考えが無かったという人もいますが、記述が無かったから無いとは限りませんし、後に突然、御霊信仰が生まれることは有り得ない。怨霊や祟りを恐れる気持ちは、あったハズです。

怨霊や祟りが強い、ということは人を殺すことは出来ません。なにせ、殺せば恨みが残り、祟られるからです。だから壬申の乱で敵対しても、中心メンバーは極刑にしても、それ以外は殺さなかった、のかもしれません。

おそらく上記の両方の理由があったのだと思います。
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