天武天皇(四十一)十市皇女と阿閉皇女は伊勢神宮へ・部曲の停止

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天武天皇(四十一)十市皇女と阿閉皇女は伊勢神宮へ・部曲の停止

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原文

二月乙亥朔癸未、勅大倭・河內・攝津・山背・播磨・淡路・丹波・但馬・近江・若狹・伊勢・美濃・尾張等国曰、選所部百姓之能歌男女及侏儒伎人而貢上。丁亥、十市皇女・阿閉皇女、參赴於伊勢神宮。己丑、詔曰「甲子年諸氏被給部曲者、自今以後、皆除之。又親王諸王及諸臣幷諸寺等所賜山澤・嶋浦・林野・陂池、前後並除焉。」癸巳、詔曰「群臣百寮及天下人民、莫作諸惡。若有犯者、隨事罪之。」丁酉、天皇幸於高安城。

現代語訳

(即位4年)2月9日。大倭・河内・摂津・山背・播磨・淡路・丹波・但馬・近江・若狹・伊勢・美濃・尾張などの国に勅(ミコトノリ)して言いました。
「その国の百姓の中から良く歌う男女と、侏儒(ヒキヒト=滑稽なことをする小人)と伎人(ワザヒト=俳優)を選んで献上しなさい」
2月13日。十市皇女(トオチノヒメミコ)と阿閉皇女(アヘノヒメミコ)が伊勢神宮に詣でました。
2月15日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「甲子(キノエネ=664年=天智天皇3年)の年に、諸々の氏に支給した部曲(カキノタミ)は今より以後、皆、やめなさい。また親王(ミコタチ=天皇の親族)と諸々の王と諸々の臣と諸々の寺に与えた、山沢・嶋浦・林野・陂池(イケ)は、前も後も止めなさい」
2月19日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「群臣(マヘツキミタチ=臣下たち)と百僚(ツカサツカサ)と天下の人民は諸々の悪さをするな。もし悪さを犯すことがあれば、その事件に従って、罪を問う」
2月23日。天皇は高安城(タカヤスノキ)に行きました。
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解説

伊勢神宮
どうも天武天皇には伊勢神宮に大きな貸しがあるよう。もしくは伊勢神宮の力を借りて、天皇という地位を補強しようとしたか。
部曲
白村江の戦いの後、天智天皇は即位3年2月に冠位26階を示し、同時に氏上・民部(=部曲)・家部(ヤカベ)を制定しています。

ちなみに、この制定を述べたのは大海人皇子。つまり後の天武天皇です。
山沢・嶋浦・林野・陂池の返却
かつて氏族に与えたこれらの土地を返却しろ、と詔しています。天武天皇は強い「権力」を持っていて、実質、一人で取り仕切ったとも言われています。だから、その強い権力で、かつての土地を取り返した、とも取れます。でも、これって単なる「公地公民」なんじゃないかな?とも思うのです。孝徳天皇で実施した公地公民は、格好だけだった。ここで実質的な公地公民に取り組んだという意味ではないかな?とも。
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