天武天皇(四十四)貸税・竜田の立野の風神・広瀬の河曲の大忌神

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天武天皇(四十四)貸税・竜田の立野の風神・広瀬の河曲の大忌神

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原文

夏四月甲戌朔戊寅、請僧尼二千四百餘而大設齋焉。辛巳、勅「小錦上當摩公廣麻呂・小錦下久努臣麻呂二人、勿使朝參。」壬午、詔曰「諸国貸税、自今以後、明察百姓・先知富貧・簡定三等、仍中戸以下應與貸。」癸未、遣小紫美濃王・小錦下佐伯連廣足、祠風神于龍田立野。遣小錦中間人連大蓋・大山中曾禰連韓犬、祭大忌神於廣瀬河曲。丁亥、小錦下久努臣摩呂、坐對捍詔使、官位盡追。

現代語訳

(即位4年)夏4月5日。僧尼2400人余りに請願して、大きな設斎(オガミ)をしました。
4月8日に、勅(ミコトノリ)して言いました。
「小錦上の当摩公広麻呂(タギマノキミヒロマロ)・小錦下の久努臣麻呂(クノノオミマロ)の二人は、朝廷に参ってはいけない」
4月9日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「諸国の貸税(イラシノオオチカラ)はこれ以後は、百姓を見て、まず貧富の程度を理解して、三等から選んで定めなさい。それで中戸(ナカノヘ=中くらいの家)より下に貸し与えなさい」
4月10日。小紫(ショウシ)の美濃王(ミノノオオキミ)・小錦下の佐伯連広足(サエキノムラジヒロタリ)を派遣して、風神を竜田(タツタ)の立野(タツノ)に祭らせました。小錦中の間人連大蓋(ハシヒトノムラジオオフタ)・大山中の曾禰連韓犬(ソネノムラジカライヌ)を派遣して、大忌神(オオイミノカミ)を広瀬(ヒロセ=現在の奈良県北葛城郡河合村川合)の河曲(カワワ)に祭らせました。
4月14日。小錦下の久努臣摩呂(クノノオミマロ)は詔使(ミカドツカイ)に対して拒んだために、官位を全て取られました。
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解説

貸税
おそらく、春に籾殻を貸し、秋の収穫時に利息として徴収する仕事をしていた人がいたのでしょう。そういう仕事をしている人からすると、金持ちにたくさん貸したほうが楽に儲けることができる。だから、金持ちから優先的に貸すものが多かったのでしょう。そこで天武天皇は、金持ちには貸すな。中級以下の家にしか貸すな、とミコトノリを出した。
仏教と神道
僧尼に拝ませたり、神を祭らせたりと、実に日本的なちゃんぽん宗教です。
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