天武天皇(五十七)新城に都を作らず

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天武天皇(五十七)新城に都を作らず

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現代語訳

(即位5年)11月1日。新嘗(ニイナエ)の事があり、告朔(ツイタチマウシ=毎月1日の儀式)をしませんでした。
11月3日。新羅は沙飡(ササン)の金清平(キンショウビョウ)を派遣して、政(マツリゴト)を請願しました。合わせて、汲飡(キュウサン)の金好儒(キンコウヌ)・弟監の大舍の金欽吉(キンオムキチ)たちを派遣して、調(ミツキ=税)を献上しました。その送迎の使者である奈末(マナ)の被珍那(ヒチンナ)・副使(ソイツカイ)の奈末(マナ)の好福(コウフク)は、清平(ショウビョウ)たちを筑紫に送りました。この月に、粛慎(ミシハセヒト=蝦夷の一種か、ツングース族の一種)が清平に従って来ました。
11月19日。京(ミヤコ)に近い諸国に詔(ミコトノリ)して放生(イキモノハナタシム=捕まえた動物を放つ仏教の儀式)しました。
11月20日。使者を四方の国に派遣して、金光明経・仁王経を説かせました。
11月23日。高麗は大使の後部(コウホウ=高麗の地域)の主簿(シュボ=高麗の官名)の阿于(アウ)・副使の前部(ゼンホウ=高麗の地域)の大兄(=高麗の官名)の徳富(トクフ)を派遣して、朝貢しました。新羅は大奈末(ダイナマ=新羅の官名)の金楊原(キンヨウゲン)を派遣して、高麗の使者を筑紫に送りました。この年、新城(ニイキ=奈良県大和郡山市新木)に都を作ろうとしました。その範囲の中の田園(タハタケ)は公私を問わず、皆、耕さず、ことごとく荒れました。しかしついには都を作りませんでした。
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解説

粛慎
粛慎は高麗の北東の民族とも言われますし、蝦夷の一種とも言われます。粛慎というのは中国の歴史書の表現で日本書紀で描かれている粛慎とは歴史的に隔たりがあって、同一の民族を指しているのかは怪しいです。
だから、蝦夷かもしれないし、高麗の近くの民族かもしれません。
新城
都を作ろうとして、途中でやめた。そのせいで、田畑が荒れた。こんなことをしたら人望が無くなりそうなものなんですが、致し方のない理由があったのでしょうか。、
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原文

十一月乙丑朔、以新嘗事、不告朔。丁卯、新羅、遣沙飡金淸平、請政。幷遣汲飡金好儒・弟監大舍金欽吉等、進調。其送使奈末被珍那・副使奈末好福、送淸平等於筑紫。是月、肅愼七人、從淸平等至之。癸未、詔近京諸国而放生。甲申、遣使於四方国、說金光明經・仁王經。丁亥、高麗、遣大使後部主簿阿于・副使前部大兄德富、朝貢。仍新羅、遣大奈末金楊原、送高麗使人於筑紫。是年、將都新城。而限內田園者、不問公私、皆不耕悉荒。然遂不都矣。
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