天武天皇(六十九)大分君稚見の死・吉備大宰石川王の死

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天武天皇(六十九)大分君稚見の死・吉備大宰石川王の死

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原文

三月辛巳朔丙戌、兵衞大分君稚見、死。當壬申年大役、爲先鋒之、破瀬田營。由是功、贈外小錦上位。丁亥、天皇幸於越智、拜後岡本天皇陵。己丑、吉備大宰石川王、病之薨於吉備。天皇聞之大哀、則降大恩、云々。贈諸王二位。壬寅、貧乏僧尼、施絁綿布。

現代語訳

(即位8年)3月6日。兵衞(トネリ)の大分君稚見(オオキダノキミワカミ)は死にました。壬申の年の大役(オオエダチ)に当たっては先鋒として、瀬田の陣営を破りました。この功績によって外小錦上位(トノショウキンジョウノクライ)を贈りました。
3月7日。天皇は越智(オチ)へと行きました。後岡本天皇陵(ノチノオカモトノスメラミコトノミサザキ=斉明天皇・皇極天皇の墓)で拝礼しました。
3月9日。吉備大宰石川王(キビノオオミコトモチイシカワノオオキミ)が病気で吉備で亡くなりました。天皇はそれを聞いてとても悲しみました。それで大恩を降して、云々。諸王二位を贈りました。
3月22日。貧乏な僧尼(ホウシアマ)に絁(フトギヌ)綿(ワタ)布(ヌノ)を贈りました。
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解説

大分君稚見
瀬田での攻防で先陣を切って、敵を崩した人物。橋の板抜いて、渡れなくしたアレですね。
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