天武天皇(八十三)向小殿と内安殿と外安殿の宴・天社地社の宮の修理

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天武天皇(八十三)向小殿と内安殿と外安殿の宴・天社地社の宮の修理

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現代語訳

即位10年春1月2日。幣帛(イワイノミテグラ)を諸々の神祇(アマツカミクニツカミ)に頒(アカチマダス=分配する)しました。
1月3日。百寮(ツカサツカサ=役人)の人々は朝廷で拝礼しました。
1月7日。天皇は向小殿(ムカイノコアンドノ)に居て、宴会をしました。この日に親王・諸王を内安殿(ウチノアンドノ)に引き入れました。諸臣(マヘツキミタチ=臣下たち)は皆、外安殿(トノアンドノ)に居ました。共に置酒(オオミキヲメシ)て、楽(ウタマイ=歌と舞)を与えました。大山上の草香部吉士大形(クサカベノキシオオカタ)に小錦下位を授けました。姓を与えて難波連(ナニワノムラジ)というようになりました。
1月11日。境部連石積(サカイベノムラジイワツミ)に勅(ミコトノリ)して60戸を封(ヨサ=領土を与える)しました。絁(フトギヌ)30匹・錦(ワタ)150斤・布150端・钁(クワ)100口を給付しました。
1月17日。親王より下の小建(ショウコン)より上のものは朝廷で弓を射る儀式をしました。
1月19日。畿内(ウチツクニ)と諸国に詔(ミコトノリ)して天社地社(アマツヤシロクニツヤシロ)の神宮を修理させました。
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解説

境部連石積
境部連石積はこれまでにも「坂合部連石積」「坂合部連磐積」という記述でも登場しています。遣唐使として孝徳天皇の時に唐に渡っていて、その後も新羅の使者を送迎したりと、「文官」です。文官である境部連石積がこうして、領地を与えられるということは、戦争より平和な統治が優先される時代になったという意味じゃないかと。
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原文

十年春正月辛未朔壬申、頒幣帛於諸神祗。癸酉、百寮諸人拜朝庭。丁丑、天皇、御向小殿而宴之。是日、親王諸王引入內安殿、諸臣皆侍于外安殿、共置酒以賜樂。則大山上草香部吉士大形授小錦下位、仍賜姓曰難波連。辛巳、勅境部連石積、封六十戸、因以給絁卅匹・錦百五十斤・布百五十端・钁一百口。丁亥、親王以下小建以上、射于朝庭。己丑、詔畿內及諸国修理天社地社神宮。
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