天武天皇(九十五)蝦夷の伊高岐那・男女が髪を結う

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天武天皇(九十五)蝦夷の伊高岐那・男女が髪を結う

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原文

夏四月癸亥朔辛未、祭廣瀬龍田神。癸未、筑紫大宰丹比眞人嶋等、貢大鐘。甲申、越蝦夷伊高岐那等、請俘人七十戸爲一郡、乃聽之。乙酉、詔曰「自今以後、男女悉結髮。十二月卅日以前、結訖之。唯結髮之日、亦待勅旨。」婦女、乘馬如男夫、其起于是日也。五月癸巳朔甲辰、倭漢直等賜姓曰連。戊申、遣高麗大使佐伯連廣足・小使小墾田臣麻呂等、奏使旨於御所。己未、倭漢直等男女悉參赴之、悅賜姓而拜朝。

現代語訳

(即位11年)夏4月9日。広瀬・竜田の神を祭る。
4月21日。筑紫太宰の丹比真人嶋(タジヒノマヒトシマ=多治比嶋)たちが大きな鐘を献上しました。
4月22日。越国の蝦夷の伊高岐那(イコキナ)たちは、俘囚70戸を1つの郡(コオリ)にして欲しいと請願しました。聞き入れ、許しました。
4月23日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「今から以後、男女の全てが髪を結いなさい。12月30日より以前に髪を結い終わりなさい。ただ髪を結う日は、勅旨(オオミコトノリ)になぞらえなさい」
婦女(タオヤメ)が、男夫のように馬に乗るのは、この日から起こったのです。

5月12日。倭漢直(ヤマトノアヤノアタイ)たちに姓を与えて連と言うようになりました。
5月16日。高麗に大使の佐伯連広足(サエキノムラジヒロタリ)・小使の小墾田臣麻呂(オハリダノオミマロ)たちを派遣して、使いの趣旨を御所で奏上しました。
5月27日。倭漢直などの男女は、全員が参り出て、姓を貰ったことを喜んで朝廷に拝礼しました。
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解説

丹比真人嶋
真人は「八色の姓」の一番上の姓。そして天武天皇の和風諡号の中にも見られる言葉です。
髪を結う
女性も男性も髪を結うように命じられて、それでこの時から、女性も馬に乗るようになった、という話です。これ以前も女性は馬に乗っていたはずですけどね。
ちなみに女性の髪結いは後に緩和され、結ばなくても良くなります。
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