天武天皇(九十八)造法令殿内で虹・様々な兆し・考選の基準・日高皇女の病

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天武天皇(九十八)造法令殿内で虹・様々な兆し・考選の基準・日高皇女の病

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原文

八月壬戌朔、令親王以下及諸臣、各俾申法式應用之事。甲子、饗高麗客於筑紫。是夕昏時、大星自東度西。丙寅、造法令殿內、有大虹。壬申、有物、形如灌頂幡而火色、浮空流北。毎国皆見、或曰入越海。是日、白氣起於東山、其大四圍。癸酉大地動、戊寅亦地震動。是日平旦、有虹、當于天中央、以向日。甲戌、筑紫大宰言、有三足雀。癸未、詔禮儀言語之狀、且詔曰「凡諸應考選者、能檢其族姓及景迹、方後考之。若雖景迹・行能灼然、其族姓不定者不在考選之色。」己丑、勅、爲日高皇女(更名新家皇女)之病、大辟罪以下男女幷一百九十八人皆赦之。庚寅、百卅餘人出家於大官大寺。
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現代語訳

(即位11年)8月1日。親王より下、諸臣(マヘツキミタチ=臣下たち)に令(ノリゴト)して、それぞれ法式(ノリ)として用いるべきことを申しました。
8月3位置。高麗の客人を筑紫で宴会してもてなしました。この夕(ユウベ)の昏時(イヌノトキ=午後8時)に大星(オオキナルホシ)が東から西に渡る。
8月5日。造法令殿内(ノリノフミツクルアラカノウチ=法令を作っている宮殿の中)で虹がありました。
8月11日。ある物がありました。形は灌頂(カンジョウ=頭頂に聖なる水を注ぐ儀式)で使う幡(ハタ)のようで火の色でした。空を浮かんで北に流れました。国々でみんなが見ました。ある人は
「越国の海に入った」
と言いました。
この日に白い気(シルシ)が東の山に発生しました。その大きさは4囲(イダキ)でした。
8月12日。大きな地震がありました。
8月17日。また地震がありました。この日の平旦(トラノトキ=午前4時)に虹があり、天の中央(モナカ)に当たって、日に向かっていました。
8月13日。筑紫太宰が言いました。
「三本足の雀があります」
8月22日。礼儀言語(イヤマイモノイワムコト)の状(カタチ)を詔(ミコトノリ)しました。また詔して言いました。
「すべての諸々の考選(シナサダメカウブリタマワム=役人の優劣を決めること=人事)の者は、よくその族姓(ウガラカバネ)と景迹(ココロバセ=素行)を調べてから、後に考えなさい。たとえ、景迹(ココロバセ=素行)や行能(シワザ=役人としての仕事と能力)が灼然(イチシロシ=優れている)としても、その族姓が定まっていない者には、考選の対象にしてはいけない」
8月28日。勅(ミコトノリ)して、日高皇女(ヒダカノヒメミコ)…
別名は新家皇女(ニイノミノヒメミコ)と言います。

の病気のために、大辟罪(シヌルツミ)より下の男女198人を皆、許しました。
8月29日140人余りが、大官大寺(ダイカンダイジ)に出家しました。
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解説

造法令殿内
この一文に関しては、「法令が完成した。宮殿内に虹が出た」という解釈と、「法令を編纂している宮殿に虹が出た」という解釈があります。また虹は「蛇」のことだとする説もあります。
礼儀言語と考選
世の中が不安定な時、この先が見えない時というのは、「優秀な人材」を求めるものです。出自と関係なく、ただ能力で人を選んでいくようになります。
しかし、社会が安定してくると、優秀な人材はむしろ社会を不安定にする可能性があります。そこで、出自のはっきりした人間を登用しようとするようになります。
礼儀も同様で、先輩後輩、上下関係などを重んじるということは、極端な社会改変はありえません。そういうものを抑えようとするということは、天武天皇のこの時代までにかなり社会が安定してきたと考えるべきでしょう。
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