天武天皇(百八)百寮の進止威儀・政要は軍事

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天武天皇(百八)百寮の進止威儀・政要は軍事

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現代語訳

(即位13年)夏4月5日。徒罪(ミツカウツミ=軽い罪)より下を皆、許しました。
4月13日。広瀬の大忌神(オオイミノカミ)・竜田の風神(カゼノカミ)を祭りました。
4月20日。小錦下の高向臣麻呂(タカムクノオミマロ)を大使として、小山下の都努臣牛甘(ツノノオミウシカイ)を小使として新羅に派遣しました。

閏4月5日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「来年の9月に必ず閲(ケミ=調べる)をする。百寮(ツカサツカサ=役人)の進止(フルマイ)・威儀(ヨソオイ)を教えなさい」
また詔して言いました。
「すべての政要(マツリゴトノヌミ)は軍事です。文武官の人々も、努力して兵器を用い、馬を乗ることを習いなさい。馬と兵器と、当身(ミミ=自分の体)の装束(ヨソイ)の物を、努力して詳細に準備し、足しなさい。馬があるものは騎士(ウマノリビト)となりなさい。馬が無いものは步卒(カチビト=歩兵)としなさい。試練(トトノエ)して、集会するときに障ることの無いように。もし、詔の趣旨に違反して、馬や兵器に不便があり、装束(ここでは防具の意味)が欠けているようならば、親王より下、諸々の臣まで、同じように調べて罰を与える。大山位より下は罰を与えるべきは罰を与え、杖で打つべきものは打つ。よく務め習って、業務が出来るようになったものは、もし死罪と言っても2等減らそう。ただし、自分の才能に頼って、罪を起こしたものは、許す例にはならない」
また詔して言いました。
「男女は、どちらも衣服は、襴(スソツキ=裾)があっても、襴(スソツキ)がなくても、紐を結んでも、結ばず長く垂らしても、好きなように着て良い。集会の日には襴衣(スソツキノコロモ)を着て、長紐をつけなさい。ただし男子だけは、圭冠(ハシハカウブリ)があればそれを被り、括緖褌(ククリオノハカマ)を着なさい。女の年齢が40歳より上は髪は結っても結わなくても、馬に乗るときに、縦乗りでも横乗りでも好きなようにしなさい。それとは別に巫女や祝(ハフリ)の類は髪を結う例に入れない」
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解説

すべての役人は軍備を
以前ほどは頻繁ではないのですが、やはり兵器を持つように促していて、ここではキッチリと、義務だからね!チェックもするよ!と言っています。

この傾向は、白村江の戦いで中国と一戦を交えたことで、中国に攻められるのではないか?と考えた大和朝廷は、軍備を揃えるようにした。というのが一般的な見方ですが、私は、天武天皇が中国の思想(儒教)の取り入れにも熱心だった、程度のことじゃないかと思っています。
髪を結う
髪を結うというのは、以下のページに初めて書かれています。ということはそれ以前には髪を結っていなかった?のでしょうか?
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原文

夏四月壬子朔丙辰、徒罪以下皆免之。甲子、祭廣瀬大忌神龍田風神。辛未、小錦下高向臣麻呂爲大使・小山下都努臣牛甘爲小使、遣新羅
閏四月壬午朔丙戌、詔曰「來年九月必閲之、因以、教百寮之進止威儀。」又詔曰「凡政要者軍事也。是以、文武官諸人務習用兵及乘馬。則馬兵幷當身裝束之物務具儲足。其有馬者爲騎士・無馬者步卒、並當試練、以勿障於聚會。若忤詔旨、有不便馬兵亦裝束有闕者、親王以下逮于諸臣、並罰之。大山位以下者、可罰々之・可杖々之。其務習以能得業者、若雖死罪則減二等、唯恃己才以故犯者不在赦例。」又詔曰「男女並衣服者、有襴無襴及結紐長紐、任意服之。其會集之日着襴衣而長紐、唯男子者有圭冠々而着括緖褌。女年卌以上、髮之結不結及乘馬縱横、並任意也。別巫祝之類、不在結髮之例。」
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