天武天皇(百九)信濃国の地図を献上・僧福楊の自殺

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天武天皇(百九)信濃国の地図を献上・僧福楊の自殺

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現代語訳

(即位13年)閏4月11日。三野王(ミノノオオキミ)たちは信濃国の地図を献上しました。
4月16日。宮中で設斎(オガミ)をしました。それで罪のある舎人たちを売るしました。
4月24日。飛鳥寺の僧の福楊(フクヨウ)は罪を犯して獄に入りました。
4月29日。僧の福楊は自ら首を刺して自殺しました。
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解説

三野王
栗隈王の子供で、壬申の乱時、近江側が栗隈王に「近江の味方につけ(味方しないなら殺す)」と迫った時に剣を取り、栗隈王を守った人物。

美濃王と同一人物なのかは、よくわからない。同一人物と見る人も多いし、その方が自然に思う。美濃王は壬申の乱で、大海人皇子(=天武天皇)に呼び出されるとすぐに応じたと書いてあります。

天武天皇の治世で「美濃王」も登場しますが、

三野王という記述でも登場しています。

同一人物としても不思議じゃないし、むしろ自然。記述の文字が違うのは「元ネタ」にした本が違うからでしょう。
僧の自殺
坊主の自殺ってダメだと思うのですが、何か事情があったのでしょう。でも、その事情が全然描かれていないので何とも。
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原文

壬辰、三野王等、進信濃國之圖。丁酉、設齋于宮中、因以赦有罪舍人等。乙巳、坐飛鳥寺僧福楊、以入獄。庚戌、僧福楊、自刺頸而死。
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