天武天皇(百十八)家ごとに仏舎を作り、仏像とお経を作り礼拝供養を

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天武天皇(百十八)家ごとに仏舎を作り、仏像とお経を作り礼拝供養を

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現代語訳

(即位14年)2月4日。大唐人・百済人・高麗人、合わせて147人に爵位を与えました。

3月14日。金物儒(キンモツヌ)を筑紫で宴会をしてもてなしました。すぐに筑紫から帰りました。それで流れ着いた新羅人7口を物儒につけて帰しました。
3月16日。京職大夫直大参(ミサトノツカサノカミジキダイサン)の巨勢朝臣辛檀努(コセノアソミシタノ)が亡くなりました。
3月27日。詔(ミコトノリ)しました。
「諸国に、家ごとに仏舎(ホトケノオオトノ)を作って、すぐに仏像とお経を置いて、礼拝供養をしなさい」
この月に灰が信濃国に降りました。草木が皆、枯れました。

夏4月4日。紀伊国司は言いました。
「牟婁湯泉(ムロノユ=和歌山県西牟婁郡白浜町湯崎温泉)は埋もれて出ません」
4月12日。広瀬・竜田の神を祭りました。
4月17日。新羅人の金主山(キンシュセン)を帰りました。
4月15日。初めて僧尼に請願して、宮中に安居(アンゴ=毎年4月15日から7月15日まで講説をすること)させました。
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解説

諸国の家ごとに仏舎を
これを「国分寺の起源」と見ることもあります。
しかし、一般的には朝廷に参加する氏族の家に個人的に仏像やお経を用意するように求めたということだと思われます。

神道の穢れを恐れる感覚では戦争に参加はできません。一方、仏教を信仰するということは穢れから距離を取るということです。これとは別に、天武天皇は武器の準備や、兵法を習うように進めています。また穢れを恐れないということは、動物の死体から作られる筆も使えます。文字を全員が使えるようにするためには仏教が必要という判断でしょう。そう考えると、この仏像とお経を進める詔は、富国強兵の大事な施策です。
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原文

二月丁丑朔庚辰、大唐人・百濟人・高麗人、幷百卌七人賜爵位。三月丙午朔己未、饗金物儒於筑紫、卽從筑紫歸之、仍流着新羅人七口附物儒還之。辛酉、京職大夫直大參巨勢朝臣辛檀努、卒。壬申、詔、諸国毎家作佛舍、乃置佛像及經、以禮拜供養。是月、灰零於信濃国、草木皆枯焉。夏四月丙子朔己卯、紀伊国司言、牟婁湯泉沒而不出也。丁亥、祭廣瀬龍田神。壬辰、新羅人金主山、歸之。庚寅、始請僧尼安居于宮中。
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