天武天皇(百二十三)百済僧の常輝は百歳・束間温湯へ行こうと

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天武天皇(百二十三)百済僧の常輝は百歳・束間温湯へ行こうと

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原文

冬十月癸酉朔丙子、百濟僧常輝封卅戸、是僧壽百歲。庚辰、遣百濟僧法藏・優婆塞益田直金鍾於美濃、令煎白朮、因以賜絁綿布。壬午、遣輕部朝臣足瀬・高田首新家・荒田尾連麻呂於信濃、令造行宮、蓋擬幸束間温湯歟。甲申、以淨大肆泊瀬王・直廣肆巨勢朝臣馬飼・判官以下、幷廿人任於畿內之役。己丑、伊勢王等亦向于東国、因以賜衣袴。是月、說金剛般若經於宮中。

現代語訳

(即位14年)冬10月4日。百済の僧の常輝(ジョウキ)に30戸を封(ヨサ=領地として与えた)しました。この僧は寿齢100歳です。
10月8日。百済の僧の法蔵(ホウゾウ)・優婆塞(ウバソク=俗人男性だが仏教を信奉して戒律を守っている人)の益田直金鍾(マスタノアタイキンショウ)を美濃に派遣して、白朮(オケラ=漢方薬の植物)を煎じて煮させました。絁(フトギヌ)・綿・布を与えました。
10月10日。軽部朝臣足瀬(カルベノアソミタルセ)・高田首新家(タカタノオビトニイノミ)・荒田尾連麻呂(アラタオノムラジマロ)を信濃に派遣して、行宮(カリミヤ=移動先の仮の宮)を作らせました。おそらく束間温湯(ツカマノユ=信濃国筑摩郡=現在の長野県松本市浅間温泉?)に行こうと思ったのだろう。
10月12日。浄大肆の泊瀬王(ハツセノオオキミ)・直広肆の巨勢朝臣馬飼(コセノアソミウマカイ)・判官より下の合わせて20人を畿内の役(エダチ=労役)に任じました。
10月17日。伊勢王(イセノオオキミ)たちはまた東国に向かいました。それで衣袴(コロモハカマ)を与えました。この月に金剛般若経を宮中で説かせました。
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解説

寿齢百歳
さすがにねぇ。
史実とは思いませんね。
でも長生きをしていたのでしょう。
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