天武天皇(百三十四)観世音経200巻を読ます・皇子と寺に封を与える

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天武天皇(百三十四)観世音経200巻を読ます・皇子と寺に封を与える

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原文

八月己巳朔、爲天皇、度八十僧。庚午、度僧尼幷一百、因以、坐百菩薩於宮中、讀觀世音經二百卷。丁丑、爲天皇體不豫、祈于神祗。辛巳、遣秦忌寸石勝、奉幣於土左大神。是日、皇太子・大津皇子・高市皇子各加封四百戸、川嶋皇子・忍壁皇子各加百戸。癸未、芝基皇子・磯城皇子各加二百戸。己丑、檜隈寺・輕寺・大窪寺各封百戸、限卅年。辛卯、巨勢寺封二百戸。

現代語訳

(即位15年)8月1日。天皇のために80人の僧を出家させました。
8月2日。僧尼、合わせて100人を出家させました。それで100の菩薩像を宮中に座らせ置いて、観世音経200巻を読ませました。
8月9日。天皇の体不予(ミヤマイ=病気)のために、神祇(アマツカミクイツカミ)に祈りました。
8月13日。秦忌寸石勝(ハダノイミキイワカツ)を派遣して、幣(ミテグラ)を土佐大神に奉じました。この日に皇太子(=草壁皇子)・大津皇子・高市皇子にそれぞれ封(ヘヒト)を400戸、加え増しました。川嶋皇子・忍壁皇子にそれぞれ100戸を加え増しました。
8月15日。芝基皇子(シキノミコ)・磯城皇子(シキノミコ)にそれぞれ200戸を加え増しました。
8月21日。檜隈寺(ヒノクマデラ)・軽寺(カルデラ)・大窪寺(オオクボデラ)にそれぞれ100戸を封(ヨサ)しました。ただし30年に限りました。
8月23日。巨勢寺(コセデラ)に200戸を封(ヨサ)しました。
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解説

祟りか? と思う心
日本人は穢れを嫌います。穢れを一言で言い表すことは難しいですが、その大きな部分にあるのが「神罰」です。神罰と言っても、キリスト教や仏教の仏罰とは意味が違います。日本人にとって神とは、あらゆるものに宿る魂(霊)と同義で、神は必ずしも、偉かったり正しかったりしないのです。というか、人間だって死んだら、その霊体は神と同義なんです。その霊が引き起こすものが「穢れ」であり、「祟り」であり、言い換えれば「神罰」ということです。

だから日本人は殺人を嫌います。そこに正義があって殺人が正当化されるとしても、殺人がある以上は、霊が生まれ、その恨みを持った祟りとして「穢れ」が発生します。だから、どうであれ戦争や殺人には関わりたくない!というのが日本人です。しかし、歴史の流れ上、避けられない戦争はいくらでもあります。それが壬申の乱です。

壬申の乱は実質、大海人皇子(=天武天皇)のクーデターでした。天武天皇は多くの死者を生んだ戦争を引き起こした張本人です。大量の死者が生まれ、大量の穢れを生んだのです。ですから、天武天皇は穢れが怖い。祟りが怖い。なんて考えているうちに、病気になってきた。まぁ、年相応なんですよ。長生きしてる方ですよ。でも、祟りの心当たりのある天武天皇としては、因果関係があるんじゃないかと思っちゃう。そこで、穢れの概念のない仏教に読経させたり、神祇に祈ったり…天武天皇の時代に頻発している「特赦・大赦」も、そういう穢れや祟りを忌避するためのものじゃないかと思います。

皇子に封を与えたのは、子孫に祟りの悪影響が及ぶんじゃないかと思ったのかもしれませんね。
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