持統天皇(八)喪服を着て東に向いて3回拝んで3回発哭

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持統天皇(八)喪服を着て東に向いて3回拝んで3回発哭

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原文

九月壬戌朔庚午、設国忌齋於京師諸寺。辛未、設齋於殯宮。甲申、新羅、遣王子金霜林・級飡金薩慕及級飡金仁述・大舍蘇陽信等、奏請国政、且獻調賦。學問僧智隆、附而至焉。筑紫大宰便告天皇崩於霜林等、卽日霜林等皆着喪服東向三拜三發哭焉。

冬十月辛卯朔壬子、皇太子、率公卿百寮人等幷諸国司国造及百姓男女、始築大內陵。十二月辛卯朔庚子、以直廣參路眞人迹見、爲饗新羅勅使。是年也、大歲丁亥。

現代語訳

(即位1年)9月9日。国忌斎(ハテノミオガミ=天皇の死の儀式)を京師(ミヤコ)の諸々の寺で設けました。
9月10日。殯宮で設斎(オガミ=儀式をする)しました。
9月23日。新羅は王子の金霜林(キンソウリン)・級飡(キュウサン=新羅の官位)の金薩慕(キンサチモ)と級飡の金仁述(キンニンジュツ)・大舍(ダサ)の蘇陽信(ソヨウシン)たちを派遣して、国政の事を奏上し請願し、また調賦(ミツキ=税)を献上しました。学問僧の智隆(チリュウ)は従って到着しました。筑紫大宰(ツクシノオミコトモチ)はすぐに天皇が崩御したことを霜林に告げいました。その日に霜林たちは、皆、喪服を着て東に向いて3回拝んで3回発哭(ミネタテマツル=泣いて悲しむ儀式)をしました。

冬10月22日。皇太子が公卿(マヘツキミ=臣下)と百寮(ツカサツカサ=役人)たちと合わせて諸国の国司・国造と百姓の男女を率いて、大内陵(オオチノミサザキ)を築き始めました。

12月10日。直広参の路真人迹見(ミチノマヒトトミ)を新羅人を宴会してもてなす勅使としました。この年、大歲丁亥。
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解説

新羅の葬の儀式
葬式ってのは死者を送るものですが、本質としては残された人の心を整理するものです。よって葬式は死者の都合ではなくて、遺族の都合です。だから葬式は生者の文化が反映されます。

それでここでは「新羅人が3回拝んで3回泣いた」と書いてあります。日本書紀で日本人も「葬の儀式」をしていますが、日本人と新羅人の葬儀の形式はどうやら違う。違うのですが、全く違うかというと、回数が違うだけ、のようにも見えます。

私は朝鮮半島と日本は、ある程度の文化を共有しつつ、根本的にも見た目にも「違う」というのが現実じゃないかと思ってます。
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