持統天皇(十)囚人の極刑を1等減じ、軽い罪は放免

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持統天皇(十)囚人の極刑を1等減じ、軽い罪は放免

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現代語訳

(即位2年)3月21日。花縵(ハナカズラ)を殯宮に奉りました。藤原朝臣大嶋(フジワラノアソミオオシマ)が誄(シノビゴトタテマツル=悲しみ泣く儀式)をしました。
5月8日。百済の敬須德那利(キョウストクナリ)を甲斐国に移しました。
6月11日。詔(ミコトノリ)しました。
「天下に令(ノリゴト)して、繋囚(トラエビト=囚人)の極刑は、元の罪を1等、減じなさい。軽繋(カルキトラエビト=軽い罪の囚人)は皆、赦し免除しなさい。天下の、皆の、今年の調賦(ミツキ=税)を半分にしなさい」

秋7月11日。大きな雨乞いをしました。日照りだからです。
7月20日。百済の沙門(ホウシ=僧)の道藏(ドウゾウ)に命じて請雨(アマヒキ=雨乞い)をさせました。不崇朝(アシタゴコロニアラザル=午前中になのに)、あまねく天下に雨が降りました。

8月10日。殯宮で嘗(ナフライタテマツリ)して、慟哭(ミネタテマツル)しました。大伴宿禰安麻呂(オオトモノスクネヤスマロ)が誄(シノビコトタテマツル)しました。
8月11日。浄大肆の伊勢王(イセノオオキミ)に命じて、葬儀(ミハブリノヨソオイ)を宣べ奉らせました。
8月25日。耽羅(タムラ=済州島)の王は、佐平の加羅(カラ)を派遣して、来て方物(クニツモノ=国の特産品)を献上しました。
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解説

花縵
花の細工をした金属のアクセサリーのようなものかもしれませんが、何度も奉っているので「生花」じゃないかなと。
刑の減免
儒教の世界観では特赦・恩赦は、権力者の寛大な徳のためですが、日本は穢れを嫌うから、特赦・恩赦をします。特に天武天皇の死という大きな事件があった後ですから、穢れを尚のこと嫌ったんじゃないかと。
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原文

三月己未朔己卯、以花縵進于殯宮、藤原朝臣大嶋誄焉。五月戊午朔乙丑、以百濟敬須德那利、移甲斐國。六月戊子朔戊戌、詔「令天下、繋囚極刑減本罪一等、輕繋皆赦除之。其令天下皆半入今年調賦。」秋七月丁巳朔丁卯、大雩。旱也。丙子、命百濟沙門道藏請雨、不崇朝、遍雨天下。八月丁亥朔丙申、嘗于殯宮而慟哭焉、於是、大伴宿禰安麻呂誄焉。丁酉、命淨大肆伊勢王、奉宣葬儀。辛亥、耽羅王遣佐平加羅、來獻方物。
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