持統天皇(十三)筑紫の防人は満年になれば交替させなさい

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持統天皇(十三)筑紫の防人は満年になれば交替させなさい

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現代語訳

(即位3年)2月13日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「筑紫の防人は、決められた年に満ちれば交替させなさい」
2月26日。浄広肆の竹田王(タケダノオオキミ)・直広肆の土師宿禰根麻呂(ハジノスクネネマロ)・大宅朝臣麻呂(オオヤケノアソミマロ)・藤原朝臣史(フジワラノアソミフビト)・務大肆の当麻真人桜井(タギマノマヒトサクライ)、穂積朝臣山守(ホズミノアソミヤマモリ)・中臣朝臣々麻呂(ナカトミノアソミオミマロ)・巨勢朝臣多益須(コセノアソミタヤス)・大三輪朝臣安麻呂(オオミワノアソミヤスマロ)を判事(コトワルツカサ=現在でいう裁判官)としました。
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解説

筑紫の防人
どうやら、定められた年数が経っても返してもらえなかった、のではなく防人が帰らなかったのだろうと思われます。

防人というと、朝廷に無理やりに任じられて大変な人、という印象がありますが、防人は任務地で、田畑を与えられ、食料や衣服や様々な支給があったことが資料にあります。

防人に連れて行かれると、残された家族は大変なのですが、当時の「家」というのは、現在のような核家族や二世帯家族ではなく、親戚一同が「1つの家」をなしていて、構成員は30人とかそのくらいの規模です。だから、家によっては一人が防人に行ったからといって痛くもかゆくもないこともあります(大概は大変でしょうがね)。それに防人で筑紫に行った人が、必ずしも家族と仲良しとは限りません。帰りたくない人もいたでしょうよ。となると、筑紫に居ついちゃう人も出てくるわけです。
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原文

二月甲申朔丙申、詔、筑紫防人、滿年限者替。己酉、以淨廣肆竹田王・直廣肆土師宿禰根麻呂・大宅朝臣麻呂・藤原朝臣史・務大肆當麻眞人櫻井、與穗積朝臣山守・中臣朝臣々麻呂・巨勢朝臣多益須・大三輪朝臣安麻呂、爲判事。
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