持統天皇(三十六)天皇の伊勢への行幸を諌める三輪高市麻呂

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持統天皇(三十六)天皇の伊勢への行幸を諌める三輪高市麻呂

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原文

六年春正月丁卯朔庚午、増封皇子高市二千戸、通前五千戸。癸酉、饗公卿等、仍賜衣裳。戊寅、天皇觀新益京路。壬午、饗公卿以下至初位以上。癸巳、天皇幸高宮。甲午、天皇至自高宮。二月丁酉朔丁未、詔諸官曰、當以三月三日將幸伊勢、宜知此意備諸衣物。賜陰陽博士沙門法藏・道基、銀人廿兩。乙卯、詔刑部省、赦輕繋。是日、中納言直大貳三輪朝臣高市麻呂、上表敢直言諫爭天皇、欲幸伊勢妨於農時。

現代語訳

即位6年春1月4日。皇子高市(=高市皇子)に封(ヘヒト)を2000戸増しました。以前と通せば5000戸です。
1月7日。公卿(マヘツキミ=臣下)たちに宴会をしました。衣裳を与えました。
1月12日。天皇は新益京(シンヤクノミヤコ=藤原京)の路(オオチ)を観ました。
1月16日。公卿より下、初位(ウイカウブリ)より上までの人と宴会をしました。
1月27日。天皇は高宮(タカミヤ=大和国葛城郡の地名)に行きました。
1月28日。天皇は高宮から帰りました。

2月11日。諸官(ツカサツカサ=役人)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「3月3日に伊勢に行こうと思う。この意図を汲んで、諸々の衣物(キモノ)を準備しなさい」
陰陽博士の沙門(ホウシ)の法藏(ホウゾウ)・道基(ドウキ)に銀20両を与えました。
2月19日。刑部省(ウタエノツカサ)に詔して、軽繋(カルキトラエビト=軽い罪の囚人)を赦しました。この日に中納言の直大弐の三輪朝臣高市麻呂(ミワノアソミタケチマロ)は表(フミ)を奉り、直に言い、天皇が伊勢に行こうとしていることを、農時(ナリワイノトキ)を妨げると諌めました。
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解説

持統天皇は非常にあちこちに移動しています。政治的な理由があるのかもしれませんが、案外「遊興好き」なだけなのかもしれない。

伊勢は当然、伊勢神宮。現在、伊勢神宮にはアマテラスが祀ってありますが、最初からアマテラスが祀ってあったというわけでありません。ただ持統天皇の時代には当然、アマテラスが祀ってあったでしょうよ。

伊勢に行くのは、アマテラスを皇祖とする手順の何か?だったのかな?とも思います。
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