持統天皇(三十七)伊勢行幸

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持統天皇(三十七)伊勢行幸

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現代語訳

(即位6年)3月3日。浄広肆の広瀬王(ヒロセノオオキミ)・直広参の当摩真人智徳(タギマノマヒトチトコ)・直広肆の紀朝臣弓張(キノアソミユミハリ)たちと留守官(トドマリマモルツカサ)としました。中納言の大三輪朝臣高市麻呂(オオミワノアソミタケチマロ)はその冠位を脱いで、朝(ミカド)に捧げて、重ねて諌めて言いました。
「農作(ナリワイ)の時節です。車駕(キミ=天皇が乗る車)は、動かすべきではありません」
3月6日。天皇は諌めに従わず、ついに伊勢に行きました。
3月17日。通り過ぎた神郡(カミノコオリ)、伊賀・伊勢・志摩の国造に冠位を与え、合わせて今年の調役(エツキ)を免除し、またそこに仕える騎士(ウマノリヒト)・諸司(ツカサツカサ)の荷丁(モチヨホロ=荷物持ちの従者)・行宮(カリミヤ)を作った丁(ヨホロ)の今年の調役(エツキ=労役)を免除して、天下で大赦をしました。ただし盗賊は大赦の例に入れませんでした。
3月19日。通り過ぎた志摩の百姓の男女の年の80歳以上に稲、一人50束を与えました。
3月20日。車駕(スメラミコト)を宮に帰りました。到着するごとに、すぐに郡県(クニコオリ)の吏民(ツカサオオミタカラ=役人と百姓)を集めて、労務(コトネンゴロニネギライ)して、物を与えて、楽(ウタマイ=歌と舞)をしました。
3月29日。詔して、近江・美濃・尾張・参河・遠江などの国に、仕える騎士の戸、諸国の荷丁・行宮を作った丁の今年の調役(エツキ)を免除しました。詔して天下の百姓の困窮しているものに稲を与えました。男には3束。女には2束。
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解説

感じの悪い持統天皇
前のページでは三輪高市麻呂に伊勢行幸を諌められたのですが

結局、伊勢へ行ってしまいます。大三輪高市麻呂は冠を脱いで…つまり地位を捨ててまで持統天皇を止めたのですが、それでもダメ。
ちなみに三輪高市麻呂は壬申の乱でも活躍した古参の忠臣。持統天皇の後の文武天皇まで臣下として活躍しています。

この持統天皇の描き方は非常にひどいわけです。持統天皇はひどい天皇であるとでも言わんばかりです。よく持統天皇をアマテラスに見立てた、という説があるのですが、この描き方を見る限りは、その説はちょっと考えにくいんじゃないかなと。
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原文

三月丙寅朔戊辰、以淨廣肆廣瀬王・直廣參當摩眞人智德・直廣肆紀朝臣弓張等、爲留守官。於是、中納言大三輪朝臣高市麻呂、脱其冠位、擎上於朝、重諫曰、農作之節、車駕未可以動。辛未、天皇不從諫、遂幸伊勢。壬午、賜所過神郡及伊賀・伊勢・志摩國造等冠位、幷免今年調役、復免供奉騎士・諸司荷丁・造行宮丁今年調役。大赦天下、但盜賊不在赦例。甲申、賜所過志摩百姓男女年八十以上、稻人五十束。乙酉、車駕還宮。毎所到行、輙會郡縣吏民、務勞賜作樂。甲午、詔免近江・美濃・尾張・參河・遠江等國供奉騎士戸及諸國荷丁・造行宮丁今年調役。詔令天下百姓、困乏窮者稻、男三束女二束。
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