持統天皇(三十九)阿古志海部河瀬麻呂たちの免税・藤原の宮地を鎮め祭る

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持統天皇(三十九)阿古志海部河瀬麻呂たちの免税・藤原の宮地を鎮め祭る

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現代語訳

(即位6年)5月6日。阿胡行宮(アゴノカリミヤ=志摩国英虞郡=現在の三重県志摩郡英虞湾か三重県鳥羽市答志島か)に居た時、贄(オオニエ=食事)を献上した紀伊国の牟婁郡の人の阿古志海部河瀬麻呂(アコシノアマノカワセマロ)たち、兄弟3戸に、10年の調役・雜徭を許しました。また挾杪(カジトリ=船頭)8人に今年の調役を免除しました。
5月7日。相模国司が赤烏(アカキカラス)の雛を2隻、献上しました。そして言いました。
「御浦郡(ミウラノコオリ=現在の神奈川県三浦郡・三浦市・横須賀市・逗子市)で捕らえました」
5月12日。吉野宮に行きました。
5月16日。車駕(スメラミコト天皇が乗る車)が宮に帰りました。
5月17日。大夫(マヘツキミ=臣下)・謁者(モノモウシヒト)を派遣して、名のある山・岳・浜(カワ)を祠(マツ)って雨乞いをしました。
5月20日。文忌寸智徳(フミノイミキチトコ)に直大壱を贈りました。合わせて賻物(ハブリモノ=遺族に贈る、香典のようなもの)を与えました。
5月23日。浄広肆の難波王(ナニワノオオキミ)たちを派遣して、藤原の宮地を鎮め祭らせました。
5月26日。使者を派遣して、幣(ミテグラ=神に奉るもの)を4箇所の…伊勢・大倭・住吉・紀伊の大神に奉らせました。新宮の報告をさせました。
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解説

赤烏
天武天皇は壬申の乱で「赤いもの」を身につけることで、敵兵と味方兵の区別をしたことから、「赤」は吉兆とされます。しかし、ここでは赤烏が吉兆なのかはハッキリとは分かりません。
もしかすると、東国で赤い烏が見つかったことを、東国から反政府の軍が立つ凶兆と捉えた?のかも。どうしてかというと、持統天皇は天武天皇の妻、なのですが同時に天智天皇の娘でもあります。昔から、持統天皇と天武天皇の関係性には色眼鏡で見るところがあるんですよね。持統天皇は「天武天皇を憎み、天智天皇を敬っていた。天武天皇の死後は天智天皇の政治に揺り戻した」という見方です。正しいか、間違っているかは分かりませんが、そういう捉え方もできるってことです。
伊勢・大倭・住吉・紀伊
この土地の神に奉納して、神託を得たんじゃないかと思います。藤原京に京を移していいものでしょうか?と。それが「新宮の報告」なんでしょう。詳細が書いていないのが気になりますが。
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原文

五月乙丑朔庚午、御阿胡行宮時、進贄者紀伊国牟婁郡人阿古志海部河瀬麻呂等、兄弟三戸、服十年調役・雜徭。復免挾杪八人、今年調役。辛未、相摸国司獻赤鳥鶵二隻、言、獲於御浦郡。丙子、幸吉野宮。庚辰、車駕還宮。辛巳、遣大夫謁者、祠名山岳瀆請雨。甲申、贈文忌寸智德直大壹、幷賜賻物。丁亥、遣淨廣肆難波王等、鎭祭藤原宮地。庚寅、遣使者奉幣于四所、伊勢・大倭・住吉・紀伊大神、告以新宮。
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