持統天皇(四十)伊勢への赤引糸35斤・大隈と阿多へ仏教を・郭務悰の阿弥陀像

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持統天皇(四十)伊勢への赤引糸35斤・大隈と阿多へ仏教を・郭務悰の阿弥陀像

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原文

閏五月乙未朔丁酉、大水。遣使循行郡国、禀貸災害不能自存者、令得漁採山林池澤。詔令京師及四畿內、講說金光明經。戊戌、賜沙門觀成、絁十五匹・綿卅屯・布五十端、美其所造鉛粉。丁未、伊勢大神奏天皇曰「免伊勢国今年調役。然應輸其二神郡、赤引絲參拾伍斤、於來年、當折其代。」己酉、詔筑紫大宰率河內王等曰「宜遣沙門於大隅與阿多、可傳佛教。復、上送大唐大使郭務悰爲御近江大津宮天皇所造阿彌陀像。」

現代語訳

(即位6年)閏5月3日。大水(オオミズ=洪水)がありました。使者を派遣して郡国(クニグニ)を巡って行き、災害があり、自分で生きていけないものに、禀貸(カビオイ=食料を貸す)させて、山林池沢で漁をして、木を伐採することができるようにした。詔(ミコトノリ)して京師(ミヤコ)と4つの畿内の国に、金光明経を講説させました。
5月4日。沙門(ホウシ=僧)の観成(カンジョウ)に絁(フトギヌ)15匹・綿30屯・布50端を与えました。その作った鉛粉(エンフン=鉛白で作ったオシロイ)を褒めました。
5月13日。伊勢大神は天皇に申して言いました。
「伊勢国の今年の調役(エツキ=労役)は免除した。しかし、その二つの神郡(カミノコオリ)から輸送するべき、赤引糸35斤は来年に、その代りを減らしなさい」
5月15日。筑紫大宰率の河内王(カフチノオオキミ)たちに詔して言いました。
「沙門(ホウシ=僧)を大隈と阿多に派遣して、仏教を伝えなさい。また大唐の大使の郭務悰(カクムソウ)が御近江大津宮天皇(オウミノオオツノミヤニアメノシタシラシメシシスメラミコト=天智天皇)のために作った阿弥陀像(アミダノミカタ)を献上しなさい」
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解説

赤引糸35斤
このあたりは現代語訳ができないです。
ようは伊勢が「この前、このあたりの税を免除したんだけど、赤引糸はさしあたって必要だから今年35は納めてね。その代り、来年、35を免除するからさー!」と申し出たってことです。
伊勢大神が発言したことになってますけど、ようは伊勢の神主が言ったってことでしょう。
大隈と阿多
大隈と阿多は九州南部。熊襲のこと。この地域はどうも早くから民間で仏教が伝わっていたっぽいです。ここでの「仏教を伝える」というのは、「大和朝廷の管理下の仏教」のことでしょう。
管理外の宗教なんて、政府にとっては恐ろしいだけですからね。
郭務悰
天智天皇の時代に、何度もやってきた人物。唐の使者。ある時は2000人の大勢でやってきていました。
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