持統天皇(四十一)直丁に官位・赤烏を捕らえた褒賞・熒惑と歲星

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持統天皇(四十一)直丁に官位・赤烏を捕らえた褒賞・熒惑と歲星

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現代語訳

(即位6年)6月9日。郡国(クニグニ)の長吏(コノカミツカサ=役人の長官)に勅(ミコトノリ)して、それぞれの名のある山・岳・浜(カワ)に祈らせました。
6月11日。大夫(マヘツキミ=臣下)・謁者(モノマウシヒト)を派遣して4つの畿内に行って、雨乞いしました。
6月21日。直丁(ツケノヨホロ=仕丁で官に当直するもの)8人に官位を与えました。大内陵(オオチノミサザキ=天武天皇の陵)を作った時に、真面目に勤めて、怠けなかったことを褒めました。
6月30日。天皇は藤原の宮地を観ました。

秋7月2日。天下で大赦しました。ただし十悪(ジュウアク=国家を揺るがす罪、謀反など)・盗賊は、大赦の例にはありませんでした。相模国司の布勢朝臣色布智(フセノアソミシコフチ)たちと、御浦郡少領(ミウラノコオリノスケノミヤツコ)…
名は漏れていて分からない。

と、赤い烏を捕らえたものである、鹿嶋臣櫲樟(カシマノオミクス)とに位と禄(モノ)を与えました。御浦郡(ミウラノコオリ)の調役(エツキ)を2年、免除しました。
7月7日。公卿(マヘツキミ=臣下)に宴(トヨノアカリ)しました。
7月9日。吉野宮へ行きました。
7月11日。使者を派遣して、広瀬と竜田とを祀らせました。
7月28日。車駕(スメラミコト天皇が乗る車)は宮に帰りました。この夜、熒惑(ケイゴク=火星)と歲星(サイショウ=木星)は、一歩(=6尺?)の内に、ある時は光り、ある時は隠れ、近づき、去るというのが4回ありました。
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解説

直丁に官位
仕丁は各里から2人を徴発するもの、ということは、その土地では裕福としても、百姓でしょう。彼らに官位を与えた、というのは、やっぱり百姓と氏族の境目というのは曖昧だったんじゃないかなと。
赤烏
持統天皇即位6年5月に、
持統天皇(三十九)阿古志海部河瀬麻呂たちの免税・藤原の宮地を鎮め祭る
5月7日。相模国司が赤烏(アカキカラス)の雛を2隻、献上しました。そして言いました。
「御浦郡(ミウラノコオリ=現在の神奈川県三浦郡・三浦市・横須賀市・逗子市)で捕らえました」

とあります(このページは即位6年6月)。
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原文

六月甲子朔壬申、勅郡国長吏、各禱名山岳瀆。甲戌、遣大夫謁者、詣四畿內、請雨。甲申、賜直丁八人官位、美其造大內陵時勤而不懈。癸巳、天皇觀藤原宮地。

秋七月甲午朔乙未、大赦天下、但十惡・盜賊不在赦例。賜相模国司布勢朝臣色布智等・御浦郡少領(闕姓名)與獲赤烏者鹿嶋臣櫲樟、位及祿。服御浦郡二年調役。庚子、宴公卿。壬寅、幸吉野宮。甲辰、遣使者祀廣瀬與龍田。辛酉、車駕還宮。是夜、熒惑與歲星、於一步內乍光乍沒、相近相避四遍。
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