持統天皇(五十)法員と善往と真義に近江国の益須郡の醴泉を飲ませる

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持統天皇(五十)法員と善往と真義に近江国の益須郡の醴泉を飲ませる

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原文

十一月丙戌朔庚寅、幸吉野宮。壬辰、賜耽羅王子・佐平等、各有差。乙未、車駕還宮。己亥、遣沙門法員・善往・眞義等、試飲服近江国益須郡醴泉。戊申、以直大肆授直廣肆引田朝臣少麻呂、仍賜食封五十戸。十二月丙辰朔丙子、遣陣法博士等、教習諸国。

現代語訳

(即位7年)
11月5日。吉野宮に行きました。
11月7日。耽羅(タムラ=済州島)の王子・佐平たちに物を与え、それぞれに品がありました。
11月10日。車駕(スメラミコト天皇が乗る車)は宮に帰りました。
11月14日。沙門(ホウシ=僧)の法員(ホウイン)・善往(ゼンオウ)・真義(シンギ)たちを派遣して、試しに近江国の益須郡(ヤスノコオリ)の醴泉(コサケノイズミ=?)を飲ませてみました。
11月23日。直大肆を直広肆の引田朝臣少麻呂(ヒケタノアソミスクナマロ)に授けました。なお食封(ヘヒト)50戸を与えました。

12月21日。陣法博士(イクサノノリノハカセ)を派遣して諸国に教え、習わせました。
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解説

醴泉
これが何なのか分かりません。延喜治部式には「美しい泉で、味は甘い。醸した酒のよう」とあるので、まぁ、まさか酒が湧き出すことはありえないので、匂いのある泉なんでしょう。

ともかくそういう泉を重要視していたということです。
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