持統天皇(五十二)都賀山の醴泉・益須寺での病人治療

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持統天皇(五十二)都賀山の醴泉・益須寺での病人治療

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現代語訳

(即位8年)
3月1日。日蝕がありました。
3月2日。直広肆の大宅朝臣麻呂(オオヤケノアソミマロ)・勤大弐の台忌寸八嶋(ウテナノイミキヤシマ)・黄書連本実(キフミノムラジホンジツ)たちを鋳銭司(ゼニノツカサ)に拝命しました。
3月11日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「位の無い人を、郡司(コオリノミヤツコ)に任じる場合には、進広弐を大領(コオリノミヤツコ)に授け、進大参を小領(スケノミヤツコ)に授けなさい」
3月16日。詔して言いました。
「7年の歲次癸巳(ホシミズノトノミヤドルトシ)に、醴泉(コサケノイズミ)が近江国の益須郡(ヤスノコオリ)の都賀山(ツガヤマ)に湧きました。諸々の疾病人(ヤマイビト)は益須寺(ヤスデラ)に留まり泊まり、治療し、癒えたものが多くいる。よって水田4町・布60端を納入しなさい。益須郡(ヤスノコオリ)の今年の調役(エツキ)・雜徭(クサグサノミユキ)を許し、免除しなさい。国司の頭(カミ=頭首)から目(サクワン=役人の1種)まで位を1階進めなさい。その初めての醴泉(コイサケノイズミ)を見つけた葛野羽衝(カドノノハツキ)・百済土羅々女(クダラノツララメ)に、一人当たり絁(フトギヌ)二匹・布十端・鍬(スキ)十口を与えよう」
3月22日。幣(ミテグラ=神に納める供物)を諸々の社に奉りました。
3月23日。神祇官の頭(カミ)から祝部(ハフリ=神官の1種)まで164人に絁(フトギヌ)・布を与え、それぞれに品がありました。
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解説

醴泉
持統天皇即位7年11月に醴泉の記述があります。この時は調査に人員を派遣したという記事でしたから、「7年の歲次癸巳」は実際に泉が発見された日時なんでしょう。

こういう「良いもの」が出てくると、その地域の税を免除するってのは不思議ですよね。日本の世界観では、自然の恵みってのは、神の恵みであり、その神とその土地の人々が深く結びついているのが「常識」だから、醴泉が沸いたら、その素晴らしい神とずっと一緒に生活している民の税を免除するのでしょう。
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原文

三月甲申朔、日有蝕之。乙酉、以直廣肆大宅朝臣麻呂・勤大貳臺忌寸八嶋・黃書連本實等、拜鑄錢司。甲午、詔曰「凡以無位人任郡司者、以進廣貳授大領、以進大參授小領。」己亥、詔曰「粤以七年歲次癸巳、醴泉涌於近江国益須郡都賀山。諸疾病人停宿益須寺而療差者衆。故入水田四町・布六十端、原除益須郡今年調役雜徭、国司頭至目進位一階。賜其初驗醴泉者、葛野羽衝・百濟土羅々女、人絁二匹・布十端・鍬十口。」乙巳、奉幣於諸社。丙午、賜神祇官頭至祝部等一百六十四人絁布、各有差。
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