持統天皇(六十二)丹比真人の致仕を悲しむ

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持統天皇(六十二)丹比真人の致仕を悲しむ

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現代語訳

(即位10年)
9月15日。直大壱を若桜部朝臣五百瀬(ワカサクラベノアソミイホセ)に贈りました。合わせて賻物(ハブリモノ=遺族に贈る香典のようなもの)を与えました。これは初めから従った功績を表したものです。

冬10月17日。右大臣の丹比真人(タジヒノマヒト)に輿(コシ)・杖(ツエ)を与えました。これで致仕(=朝廷での仕事から退くこと)するのを悲しみました。
10月22日。仮に正広参位の右大臣の丹比真人(タジヒノマヒト)に資人(ツカイビト=従者)120人を与えました。正広肆の大納言の阿倍朝臣御主人(アヘノアソミミヌシ)・大伴宿禰御行(オオトモノスクネミユキ)には同じく80人。直広壱の石上朝臣麻呂(イソノカミノアソミマロ)・直広弐の藤原朝臣不比等(フジワラノアソミフヒト)には同じく50人。

11月10日。大官大寺の沙門(ホウシ=僧)の弁通(ベンツウ)に食封(ヘヒト)40戸を与えました。
12月1日。勅旨(ミコトノリ)して、金光明経(コンコウミョウギョウ)を読ませたので、毎年12月の晦日(ミソカ=30日)に浄行者(オコナイヒト=修行者)10人を出家させました。
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解説

致仕
致仕は官職を引退すること。日本書紀の正式な続編である続日本紀には「丹比真人は高年だから引退」とあります。ただし丹比真人はこの年に引退したのではないです。後々まで働いています。要は「引退する年になった」ということでしょう。では引退する年ってのは何歳かというと70歳です。普通は朝廷で働くような歳じゃない。

ちなみに丹比真人は高市皇子の死去によって、天皇に次ぐ「最高位」となりました。
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原文

九月庚子朔甲寅、以直大壹贈若櫻部朝臣五百瀬、幷賜賻物、以顯元從之功。冬十月己巳朔乙酉、賜右大臣丹比眞人輿杖、以哀致事。庚寅、假賜正廣參位右大臣丹比眞人資人一百廿人、正廣肆大納言阿倍朝臣御主人・大伴宿禰御行並八十人、直廣壹石上朝臣麻呂・直廣貳藤原朝臣不比等並五十人。

十一月己亥朔戊申、賜大官大寺沙門辨通、食封卅戸。十二月己巳朔、勅旨、緣讀金光明經、毎年十二月晦日度淨行者一十人。
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