持統天皇(六十三)東宮大傅と春宮大夫の任命・満選者に位を

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持統天皇(六十三)東宮大傅と春宮大夫の任命・満選者に位を

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現代語訳

即位11年。春1月7日。公卿大夫(マヘツキミ=臣下)たちを宴会してもてなしました。
1月11日。天下の鰥寡(ヤモメ=単身者)・孤独(ヒトリヒト=身寄りのない人)・篤癃(アツエヒト=病人)・貧しくて自分では生きていない者に稲を与え、それぞれに品がありました。
1月16日。公卿(マヘツキミ)・百寮(ツカサツカサ=役人)を宴会してもてなしました。

2月28日。直広壱の当麻真人国見(タギマノマヒトクニミ)を東宮大傅(ミコノミヤノオオキカシヅキ=皇子の家庭教師)としました。直広参の路真人跡見(ミチノマヒトトミ)を春宮大夫(ミコノミヤノツカサノカミ=皇子の世話係の長官)、直大肆の巨勢朝臣粟持(コセノアソミアワモチ)を亮(スケ=副長官)としました。

3月8日。無遮大会(カギリナキオガミ)を春宮(ミコノミヤ)で設けました。

夏4月4日。満選者(カウブリタマワルベキヒト=冠位をもらう資格のあるもの)に浄位から直位までを授けました。それぞれに品がありました。
4月7日。持統天皇は吉野宮に行きました。使者を派遣して広瀬と竜田を祀らせました。この日に吉野から帰りました。

5月8日。大夫(マヘツキミ=臣下)・謁者(モノモウシヒト)を派遣して、諸々の社に詣でて雨乞いをしました。
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解説

東宮大傅
東宮(=春宮)は、皇子が住む場所。よってここで急に皇子の教育係などが決められたのは、高市皇子の死去が原因だと思われます。

持統天皇はさしあたって高市皇子が即位して、その後、軽皇子・・・つまり次の文武天皇に引き継ぐ予定だったんじゃないかと。だから高市皇子には「後皇子尊」という別称があった。ところが、高市皇子が死亡。そこで急遽、軽皇子を皇太子として育てるのを急ぐことになった。
それがこの人の配置でしょう。

ちなみにこの後、文武天皇が即位しますが、この時の年齢が15歳。
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原文

十一年春正月甲辰、饗公卿大夫等。戊申、賜天下鰥寡孤獨篤癃貧不能自存者、稻各有差。癸丑、饗公卿百寮。二月丁卯朔甲午、以直廣壹當麻眞人国見爲東宮大傅、直廣參路眞人跡見爲春宮大夫、直大肆巨勢朝臣粟持爲亮。三月丁酉朔甲辰、設無遮大會於春宮。

夏四月丙寅朔己巳、授滿選者、淨位至直位、各有差。壬申、幸吉野宮。己卯、遣使者祀廣瀬與龍田。是日、至自吉野。五月丙申朔癸卯、遣大夫謁者詣諸社請雨。
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