持統天皇(六十四)皇太子に禅譲

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持統天皇(六十四)皇太子に禅譲

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現代語訳

(即位11年)
6月2日。罪人を赦しました。
6月6日。詔(ミコトノリ)してお経を京畿(ミヤコウチツクニ)の諸々の寺で読ませました。
6月16日。五位より上を派遣して、京の寺を払い清めさせました。
6月19日。幣(ミテグラ)を神祇に班(アカチマダス=奉納)しました。
6月26日。公卿(マヘツキミ=臣下)・百寮(ツカサツカサ=役人)は初めて、天皇の病気のために、願掛けの仏像を作りました。

癸卯(=?)に大夫(マヘツキミ)・謁者(モノマウシヒト)を派遣して、諸々の社に詣でて雨乞いしました。

秋7月7日。夜中に常●(金偏に櫻の右)盜賊(ヒタヌスビト=手枷・足かせ・首枷をされた盗賊)109人を赦しました。布を一人4常与えました。ただし外国人には稲を一人20束与えました。
7月12日。使者を派遣して、広瀬と竜田とを祀らせました。
7月29日。公卿(マヘツキミ)・百寮(ツカサツカサ)は仏像の開眼の会を薬師寺で設けました。

8月1日。天皇は策(ミハカリコト)を禁中(オオウチ)に定めて、皇太子に天皇位を禅譲しました。
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解説

これにて日本書紀の現代語訳が終了。続日本紀という正式な歴史書が持統天皇の次の文武天皇以降へと続きますが、それを今後、このサイトで現代語訳にするかはなんとも。
仏像は病気の願掛け
天皇の病気のために「初めて」仏像を作った、ということは、これ以降、天皇の病気のために仏像を作ることが一般的になるということなんでしょう。
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原文

六月丙寅朔丁卯、赦罪人。辛未、詔讀經於京畿諸寺。辛巳、遣五位以上、掃灑京寺。甲申、班幣於神祇。辛卯、公卿百寮、始造爲天皇病所願佛像。癸卯、遣大夫謁者詣諸社請雨。秋七月乙未朔辛丑夜半、赦常●(金偏に櫻の右)盜賊一百九人、仍賜布人四常、但外國者稻人廿束。丙午、遣使者祀廣瀬與龍田。癸亥、公卿百寮、設開佛眼會於藥師寺。
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