記紀成立の理由(仮説2)…儒教国ではないという証拠としての記紀

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記紀成立の理由(仮説2)…儒教国ではないという証拠としての記紀

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概要

記紀の成立の理由(仮説)…中央集権化のアプローチとしての記紀
の続きです。
まとめ
●日本は儒教国ではない。中国は儒教国。
●日本と中国では行動のロジックが違うという、認識が両国であったのではないか?
●儒教では「天子」は一人だけ、天子は複数現れるということは、殺し合いにならないといけない。
●日本が「天皇」「天子」と名乗っても中国が問題にしなかったのは、日本が儒教国ではないという認識があったからではないか。
●白村江の戦いは、朝貢していた百済を助ける戦争だった。朝貢した国を守るのは儒教では当然。となれば、日本は儒教国となる。これでは中国は「天子・天皇」を掲げる日本を見過ごせない。
●記紀は日本が儒教国ではないことを証明するものという側面があるのではないか。
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天皇と皇帝が並存する不思議

ところで天皇という名称は天武天皇のあたりで生まれたとされます。ただ「天皇」の読み仮名である「スメラミコト」はもっと昔からあったのですね。ここで大事なのは「天皇」という「文字」です。天皇という文字は明らかに「中国の皇帝」を意識した名前です。皇帝というのは儒教の世界観では「天から選ばれた存在」で、「世界の統治者」です。
皇帝(天子)は世界に一人
皇帝と天皇は本来「並んで存在」してはいけないものです。
なぜなら皇帝は天から選ばれた世界と統治する「ただ一人」の存在であり、複数は存在できないからです。もしも「皇帝」とは別に「皇帝のようなもの(例えば天皇=天子)」が現れたら、それは「皇帝」を滅ぼし、新たな皇帝になるために「天」が遣わせたものと認識され、即、殺し合いが始まるはずなんです。一人しか存在できないのですから、殺しあうしかないんですね。

でも、天皇と中国の皇帝は並存した。
なぜか??
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重ならない世界…儒教の中国と儒教ではない日本

私は中国と日本の「世界観が違う」というのが、中国と日本の「共通認識」だったのではないかと思うのです。中国からすれば、日本は「儒教のロジック」では動いていないと認識していて、日本も「中国とは違う」という認識だった。中国としては「日本は儒教のロジックではないのだから、天皇(天子)と名乗っても、大した問題はない」と考えていた。これが「日出づる処の天子」の手紙の経緯でしょう。
●天皇という文字を当てられたのは後々であっても、聖徳太子の時代(推古天皇の時代)には「天子」という考えがあって、中央集権化が進んでいたと思います。
●中国は東北異民族があり、東北異民族がその民族を統一すると余力で、中国に進出してくる。それで中国は度々異民族の支配を受けました。その恐怖の強さを表すものが「万里の長城」。だから本来、異民族である日本が「天子」を名乗ったら、即、戦争をしないといけない。少なくとも「日出づる処の天子」の手紙を持ってきた使者(小野妹子)は斬り殺さないといけない。
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儒教化する日本

ところが日本は中央集権化をしていき、儒教的なものの考え方をするようになった。天智天皇はハッキリと「儒教を勉強した」と日本書紀に書いてあります。

儒教では朝貢した国は守らないといけないのですから、天智天皇は朝貢していた百済を守るために軍隊を派兵した。結果は大敗(白村江の戦い)ですが、当時の日本としては「儒教国・中国」の手法に習った政策だった。しかし、となると日本は儒教のロジックで動く「儒教国」であり、中国とは世界観の違う国ではなく、儒教国だ!ということなります。となれば中国も「天子」と名乗る日本を放置できなくなった。
●天智天皇は白村江の戦いを進めるのですが、臣下は乗り気ではなかったよう。ここに中央集権と国家を発展させようとする天智天皇と、現実的に「中央集権化」されていないのを分かっている臣下との認識の違いがあったのだと思います。天智天皇は急ぎすぎた。その反動が天武天皇に出た。天武天皇が壬申の乱に勝利したのは、そういう氏族の考えがあったのではないか。
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儒教国ではない証拠としての記紀

そこで天智天皇の死後、天武天皇の時代あたりから「日本が儒教国ではない」という証拠を作った。それが古事記と日本書紀のもう一つの側面だったのだと思います。実際、日本はそもそも儒教国ではないのです。天智天皇は儒教を信奉していたけども、中央集権のアプローチの一つであり、一時的なブレだった。日本の神話を一本につないで神話にしたのは、そこにも理由があった。
そして記紀には「日本は独立国家である」という意味もあったのでしょう。日本は儒教国ではなく、中国とはロジックが違い、中国とは違う神話を持っている。これは日本が中国との精神的な独立を意味しています。
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