日本には同性愛を否定する理屈がない

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日本には同性愛を否定する理屈がない

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日本には同性愛を否定する理屈がない

まとめ
●キリスト教・儒教・イスラム教・ユダヤ教では同性愛はダメ。
●仏教はそもそも、性欲がダメ。よって女色も男色もダメ。
●ところが仏教では屁理屈をこねて男色をオーケーにした。
●日本には同性愛を否定する理屈がない。

キリスト教と儒教と同性愛

キリスト教・ユダヤ教
キリスト教・ユダヤ教は聖書が大事。旧約聖書のレビ記には
「男がもし、女と寝るように、男と寝るなら、ふたりは忌み嫌うべきことをしたのである。彼らは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある」

とあります。
つまり聖書ではハッキリと同性愛はダメで、しかも「殺せ」と書いてあります。
儒教
では儒教ではどうか?
儒教は先祖と子孫が一心同体になり、永遠の命を得ます。先祖の恥は自分の恥、先祖の名誉は自分の名誉。同体ですから子孫には先祖を祀る義務があり、同時に子孫を残す義務があります。長男は子供を残すのが道徳です。よって子孫を残せない同性愛は不道徳でダメ。不道徳を徹底的に叩きのめす道徳絶対主義の儒教では、同性愛を表明することは出来ない。
●イスラム教も同性愛はダメ。
●ひっくり返すと異性愛はOK。そこで「性転換」と言う「治療」をして結婚すると言う手順が取られる。
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日本と同性愛

で、日本ではどうかというと、同性愛を否定するものがありません。日本の過去の法律でもそういう記述もありません。実際には明治の一時期、法律に「同性愛を罰するもの」があったが、非常に短い期間だけでした。また衆道を批判する本も見られるが、これは結局のところ「少年愛」という名の「弱い者への性的虐待」を批判したもので、他国の批判とは意味合いが違う。
●奈良時代の寺の法律に当たる「四分律」には男色を禁じる記述がありますが、そもそも仏教は「性欲がダメ」な宗教ですから、女色も男色も禁じています。寺の中では男色を稚児灌頂という儀式にして、認めています。しかし、これはあくまで「寺の中」のルールです。
●儒教が本格的に取り入れられる江戸時代の武家大名の法度には男色(衆道)を禁じる記述があります。しかし、これも衆道が原因で刃傷沙汰が多かったからです。
●明確には同性愛と日本の男色・衆道は性質が違うんですが、同性で愛し合うこと自体をタブーとしたことは基本的には無い。
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日本の歴史と同性愛

平安時代の公家も同性愛の記述がいくらでもあり、室町・戦国時代・江戸・明治・大正・昭和にも沢山の記述・日記・小説に残されています。
日本には同性愛を否定する理屈がない
日本では同性愛を否定する理屈が無いんです。それが良いか悪いかの問題ではありません。そういう理屈が宗教・思想になく、同性愛をしていた記述がいくつもあり、それを残っていることが、社会が容認していた証拠です。
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