広島カープの由来は神功皇后

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広島カープの由来は神功皇后

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概要

まとめ
●広島の旭山神社に神功皇后が訪れて鯉を献上された。
●それでその周囲を「鯉村」と呼ぶようになった。
●それで広島城が鯉城となった。
●それで広島東洋カープになった。
●ただし、カープが選ばれたのは間違いなく、流れに逆らい滝すら登る鯉に原爆で何もかもが失われた広島の復興の願いをかけたもの。
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神功皇后と旭山神社

広島市の西、JR西日本の西広島駅から歩いて徒歩5分のところに旭山神社があります。ここにはある伝承があります。
朝鮮征伐へと行く途中、神功皇后はこの土地に立ち寄りました。
神功皇后がやってきたということで、土地の人たちは皇后に鯉を献上しました。
その大きな鯉を見た神功皇后は喜んで
「おぉ! 鯉!」
と言いました。
それでこのあたりを「コイ」と呼ぶようになりました。現在は「己斐(コイ)」という地名になっています。

鯉を献上したから、このあたりを「鯉」と呼ぶようになったんですね。実際に鯉村と呼ばれていたようです。その鯉が713年「好字二字化令」という「名前は二文字がかっこいいから二文字にしなさいよ」という朝廷からの命令があって、それで「己斐」になったんです。

その鯉が、広島城の別名の「鯉城」にもなり、その鯉が広島東洋カープの「カープ」になったわけです。
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カープの由来は神功皇后ではあるんだけど

じゃあ、カープは神功皇后と関係があるのかというと、名付けにそんな気持ちがあるわけがありません。おそらくいくつかの候補があったんでしょうけど、その中で流れに逆らって滝すら登る鯉に、原爆で何もかもを失った広島の復興を願って「鯉(カープ)」なんであって、神功皇后は鯉を辿ったら偶然に関係していた程度のことです。一番大事なのは復興の願いです。まぁ、今は完全に広島は復興しているんで、ピンと来ないですが、原爆が落ちた当初は70年は草一本生えない!なんて言われていたわけで、そんな逆風を跳ね除けるのはやっぱり鯉しかないのですよ。
広島アローズでもいいじゃないか
例えば毛利元就の三本の矢にちなんで「広島東洋アローズ」でもいいんでしょうけど、原爆投下からの復興に「矢」の名前はマズイでしょう。そういうお話があったわけじゃないんですよ。ただ、今から考えても、カープしかないだろうな、と思うのです。

ところで、どうして鯉を献上したのか?

鯉と神功皇后の関係は分かったと思うのですが、どうして鯉を献上したのだろうか?と思いませんか。これは私の個人的な推測です。
鯉は水の豊かさのシンボル
鯉って長く生きれば生きるほど大きく育ちます。死なない限りは大きくなり続けるものです。夜店で買った金魚が、どんどん大きくなるっての聞いたことないですか? 金魚は鯉やフナの一種ですから、あれも死なない限り巨大化します。

となると大きな鯉を献上したということは、広島は水が豊富だってことです。少なくとも、川や池が簡単に枯れるような土地では大きな鯉は育たない。そういう大きな鯉が育つことで有名な土地が「広島」だったんでしょう。それはつまり、農業に適した豊かな土地、という意味もあったんでしょうが、おそらく「水運」…つまり貿易に適した土地だった。神武天皇も大和朝廷を建てる前に船で安芸国に立ち寄っています。

つまり、広島は水がたくさんあり、農業・貿易に適した土地で有名だった。それが神功皇后と結びついて伝承が生まれたんだと思います。
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