アシヒトツアガリノミヤ

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アシヒトツアガリノミヤ

漢字・読み足一騰宮・一柱騰宮
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アシヒトツアガリノミヤ

古事記では足一騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)
日本書紀では一柱騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)

ウサツヒコウサツヒメ神武天皇一行をもてなしが「宮」。日本書紀には「菟狹の川上」と書いてあるので、川の上流にあったと思われます。神武天皇は船で出発して、その後も船で移動していることから、川を船で登ったのでしょう。何しに移動したんでしょうか。

名前の由来

本居宣長によると「宮の一方は宇佐川の岸に片かけて構へ、一方は流れの中に、大きなる柱を唯一たてるなり。」と書いてあります。おそらく、そういう伝承が江戸時代にはあったんじゃないでしょうか。「足一つ上がり」というのは、片方が陸に上がっていることが名前の由来ってことです。
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解説

比定地には3つあり
宇佐市拝田説
宇佐市宇佐説
宇佐市安心院町妻垣説

とあります。

場所に関しては、その土地に行ってみないと分からないので割愛。個人的には「アシヒトツアガリ」という名前が気になります。もしも、私たちが川の中に柱が置かれている小屋があったら、それを見て「川に出てきているなぁ」と思うはずです。しかし古代の人は「片方が岸に上がっているなぁ」と考えたって訳です。
宮って言ってもおそらく「鳥居」のようなものじゃないかと思うのです。
その一方が「上がってる」と考えたってことは、古代の人は「川の中に両方の足があるのが普通だ」と考えていたんじゃないでしょうか。少なくともそういう可能性があるなぁ、と思うのです。
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古事記の引用

アシヒトツアガリ宮で食事
豊の国の宇沙に着いたとき、宇沙の住民の宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)が足一騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)を作って大御饗(=食事)を献上しました。

日本書紀の引用

菟狹津媛と天種子命
そのとき菟狹国造(ウサノクニノミヤツコ)の祖先の菟狹津彦・菟狹津媛(ウサツヒコウサツヒメ)が居ました。菟狹の川上に一柱騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)を作って、(神武天皇を)奉り、宴会をしました。
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