登美毘古(トミビコ)

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トミビコ

漢字・読み登美毘古
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登美毘古(トミビコ)

ナガスネヒコの異名。日本書紀には登美毘古(トミビコ)に対応する名前は登場しない。日本書紀によると、ナガスネヒコのナガスネが土地の名前で、鳥見(トミ)は鳶(トビ)が転訛したものとあるので、案外、それが本当なのかもしれないです。

物語・由来

古事記ではナガスネヒコとして登場して、徐々にトミビコと記述されていきます。トミビコという記述は日本書紀では見られませんが、「十有二月癸巳朔丙申(一)長髄彦との再戦へ」に
皇軍(ミイクサ)が鳶の吉兆を得てからは、この土地を「鳶の邑(トビノムラ)」と名付けるようになりました。今、「鳥見(トミ)」というのはこれ(=トビノムラ)が訛ったものです。

とあったり、「十有二月癸巳朔丙申(三)櫛玉饒速日命を君主に」に
この人物は私(=長髄彦)の妹の三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)を娶って子供をもうけました。
ミカシキヤヒメの別名は長髄媛(ナガスネヒメ)、またの別名を鳥見屋媛(トミヤヒメ)といいます。

とあるようにナガスネヒコの妹の別名に鳥見屋媛とあるのですから、ナガスネヒコ=トミビコと記述はなくても、そういう認識はあったんだと思います。
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登美毘古(トミビコ)について

ついで。

日本書紀には神武天皇が即位して所信表明を述べる部分があります。そこでは「鳥見山(トミノヤマ)」という表記があります。
四年春二月壬戌朔甲申 天神を祀り大孝を伸べる
靈畤(マツリノニワ)として鳥見山(トミノヤマ)の中に立ちました。そこでその場所を上小野榛原(カミツオノハリハラ)・下小野榛原(シモツオノハリハラ)といいます。それで皇祖(ミオヤ)の天神(アマツカミ)を祀りました。

記述を読むと鳥見山に皇祖の天神を祀ったとあります。
トミというのは特別な意味のある言葉なんでしょう。

出雲神話のところで高天原の神々が「天鳥船神(アメノトリフネ)」に乗って出雲に降りてきます。また、アメノワカヒコの葬式を鳥が仕切っていることを考えても、霊界・天上界と地上を鳥が繋いで居るという感覚があったのでしょう。となると「トミビコ」という名前は、出雲やのちの大和朝廷の価値観に近いものです。明らかに海人族の神武天皇よりも、大和朝廷に近い…となると、神武東征の意味を考え直すべきじゃ無いか?と思います。

これまでは「神武東征」とは神武天皇一行が、畿内へ侵略する話というのが定説ですよね。でも案外、そうとも言い切れないのではないか? と思ってます。
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古事記からの引用

手痛い矢を受けるイツセ命
登美毘古(トミビコ=ナガスネヒコ)と戦ったとき、
五瀬命(イツセ命)は手に登美毘古の痛矢串(イタヤグシ=矢を受けた傷)を負いました。

歌の後、トミビコとの戦いへ
そう歌って、刀を抜いて
一気に土蜘蛛たちを殺してしまいました。
その後、登美毘古(トミビコ)を討とうとしたときに
歌った歌が――

ニギハヤヒが宝を献上する
その後、ニギハヤヒはトミビコ(=ナガスネヒコ)の妹の登美夜毘売(トミヤビメ)と結婚して、生まれた子が宇麻志麻遅命(ウマシマジ命)です。宇麻志麻遅命(ウマシマジ)は物部連(モノノベノムラジ)・穂積臣(ホズミノオミ)・婇臣(ウネノオミ)の祖先です。
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