三島湟咋(ミシマミゾクヒ)

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ミシマミゾクヒ

漢字・読み三島湟咋
別名三嶋溝橛耳神
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三島湟咋(ミシマミゾクヒ)

古事記では三島湟咋(ミシマミゾクヒ)。
日本書紀では三嶋溝橛耳神(ミシマノミゾクヒミミノカミ)。
日本書紀には「三嶋の溝樴姫(ミゾクイヒメ)」という記述もあるので、おそらく女神。ミゾクイの「ミゾ(溝)」は「水」と「水の流れる水路の溝」の両方。クイは本来は「杭」で、古代では「杭」というのはその土地の所有権を表す言葉で、ようは「土地の主」と同義。「ミミ」は「首長」のこと。全部、通すと、三島の水と土地の権利を持った領主といった意味合い。

物語・由来

三島(三嶋)は溝咋神社(大阪府茨木市五十鈴町)の近くには、三島鴨神社(大阪府高槻市三島江)があります。三島鴨神社の祭神の大山祇神は、大三島の大山祇神社へ移ったとされます。三島はそもそも「御島」だったのでしょう。で、大山祇神は国津神の代表で基本的に「女神」です。だから三島湟咋(ミシマミゾクヒ)は女神で、山の神でしょう。

古事記ではミシマミゾクイの娘が、オオモノヌシと結ばれて生まれた娘…イスケヨリヒメ神武天皇の皇后になります。オオモノヌシオオクニヌシと「同一神」です。

日本書紀ではミシマミゾクイの娘が、事代主と結ばれて生まれた娘…ヒメタタライスズヒメが神武天皇の皇后になります。事代主はオオクニヌシの子供です。
つまり、神武天皇の皇后は古事記でも日本書紀でも「オオクニヌシの子孫」なんです。オオクニヌシはスサノオの子孫。ミシマミゾクイが大山祇神と言う国津神の代表なんですから、「出雲+国津神」という図式でもあるんです。もう一つ言えば、神武天皇天津神アマテラスの血統です。神武天皇と皇后は「アマテラススサノオ」の合流という見方もできます。
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古事記からの引用

イスケヨリヒメは神の子
三島湟咋(ミシマミゾクヒ)の娘に勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)という美しい少女がいました。美和(ミワ=三輪)の大物主紳(オオモノヌシ神)が彼女を気に入り、少女が大便をしているときに、丹塗矢(ニヌリヤ=丹を塗った赤い矢)に変身して、そのトイレの水が流れる溝に流れて、少女の陰部を突きました。

日本書紀からの引用

庚申年秋八月 媛蹈韛五十鈴媛命を皇后に
庚申秋八月の16日に天皇は皇后を迎えようと思いました。それで広く皇后に相応しい華胄(ヨキヤカラ=貴族の子孫=人材)を求めました。そのときある人物が言いました。
「事代主神(コトシロヌシノカミ)が三嶋溝橛耳神(ミシマノミゾクヒミミノカミ)の娘の玉櫛媛(タマクシヒメ)を娶って生んだ子が媛蹈韛五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)といいます。この姫は国色(カオ)が優れています」

第八段一書(六)-3三諸山に住もう
別伝によると、事代主神(コトシロヌシ)は八尋熊鰐(ヤヒロノクマワニ)となって、三嶋の溝樴姫(ミゾクイヒメ)、別名を玉櫛姫(タマクシヒメ)という姫のところに通って出来た子供が姫蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)です。この姫は神日本磐余彦火火出見天皇(カムヤマトイワレヒコホホデミノスメラミコト)の后となりました。
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