鳴鏑

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鳴鏑

漢字・読みナリカブラ
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鳴鏑

鳴鏑は放つと音が出る「鏃(ヤジリ)」のこと。
平家物語では鳴鏑を撃つことが「戦争の始まりの合図」として描かれている。
ただし、古事記を読む限り、果たして鳴鏑=戦争と考えていいものか疑問。古事記の「正妻におびえる八上比売」の中で「鏑妻」と書いて「正妻」の意味を表していることから、鏑は「所有の権利」というか「俺のもの!」という意味があったのではないかと思います。また、古事記の中で山の神であるオオヤマクイ神が鳴鏑を神体としていることを考えると戦争のアイテムではなく、「この土地の所有権」を主張するのが鳴鏑だったと考えた方が自然でしょう。ただ、「この土地の所有権を主張する」ということはつまり「戦争の合図」、ということでもあります。のちの時代に徐々に「イコール」になっていったんじゃないでしょうか。
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古事記からの引用

鳴鏑を神体とする神
大山咋神(オオヤマクイ神)。別名を山末之大主神(ヤマスエノオオヌシ神)。この神は近江の日枝の山(=比叡山)に鎮座し、また、葛の松尾に鎮座し鳴鏑を神体とする神です。

鳴鏑とネズミ
鳴り鏑(ナリカブラ)を原っぱに撃ち、
その矢を取って来いと、須佐之男命(スサノオ命)は大穴牟遅神(オオナムチ神)に拾えと命じました。
大穴牟遅神(オオナムチ神)が矢を求めて、原っぱに入ると
須佐之男命(スサノオ命)は火を放って、焼いてしまいました。

訶夫羅前
エウカシは鳴鏑(ナリカブラ)の矢でその使いを待ち伏せして射ち、追い返してしまいました。その鳴鏑が落ちた土地を訶夫羅前(カブラサキ)といいます。

やすみすし 我が大君の 遊ばしし 猪の 病み猪の うたき畏み 我が逃げ登りし あり丘の 榛の木の枝
ある時のことです。天皇は葛城の山の上に登りました。すると大きな猪が出てきました。天皇は鳴鏑(ナリカブラ)でその猪を射ったときに、その猪は怒って宇多岐(ウタキ=怒って唸るという意味かと思われるが詳細は不明)してやって来ました。天皇はその宇多岐(ウタキ)を恐れて榛(ハリ=ハンノキ=カバノキ科ハンノキ属の広葉樹木。湿地にも生える)の上に登って座りました。それで歌いました。
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日本書紀からの引用

第九段一書(四)天忍日命の先導
その時、大伴連(オオトモノムラジ)の遠い祖先の天忍日命(アマノオシヒノミコト)が、來目部(クメベ)の遠い祖先の天槵津大來目(アマノクシツノオオクメ)を率いて、背中には天磐靫(アマノイワユキ【靫=矢を射れる筒】)を負い、腕には稜威高鞆(イツノタカトモ=防具)を身につけ、手には天梔弓(アマノハジユミ)と天羽羽矢(タマノハハヤ)を持ち、八目鳴鏑(ヤツメノカブラ【鏑は音が出るヤジリ】)も持ち、頭槌劍(カブツチノツルギ)を腰に差し、天孫(スメミマ=ニニギ)の前に立って、先導して地上に降りました。

天智天皇(六)狹夜郡の禾田の剣・加巴利浜の灰の鳴鏑
また、日本の高麗を救う将軍たちは、百済の加巴利浜(カワリノハマ)に泊まって火を焚きました。灰が変化して孔(アナ=穴)になり、細く響く音がありました。鳴鏑(ナルカブラ)のようでした。ある人は言いました。
「高麗・百済がついには滅ぶ徴候か」
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