阿久斗比売(アクトヒメ)

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阿久斗比売

漢字・読みアクトヒメ
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阿久斗比売(アクトヒメ)

阿久斗比売(アクトヒメ)は古事記での安寧天皇(3代)の皇后。
威徳天皇(4代)の母。
また、古事記では「河俣毘売(カハマタビメ)の兄の県主(アガタヌシ)波延(ハエ)の娘」であると書いてあります。
まとめ
●古事記では阿久斗比売(アクトヒメ)。
安寧天皇の皇后で、威徳天皇の母。
●古事記では河俣毘売(カハマタビメ)の兄の県主(アガタヌシ)波延(ハエ)の娘とある。
日本書紀に「阿久斗比売」に近い名前はない。
日本書紀には「磯城縣主葉江の娘」という同じ出自の川津媛という記述がある。
●同一人物とは言い切れないが、ほぼ同一人物。
●古事記で産んだ子供と、日本書紀の異説がほぼ一致。
●日本書紀は古事記を優先していない。
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記述の違い

日本書紀は「アクトヒメ」に近い名前は出ないが、日本書紀には阿久斗比売と同様の出自の「磯城縣主葉江(シキノアガタヌシハエ)の娘」として川津媛(カワツヒメ)の記述があります。阿久斗比売と川津媛が絶対に同一だ!とは言い切れませんが、一般には同一とされます。

日本書紀は異説と古事記を、総合すると阿久斗比売(アクトヒメ)に日本書紀で対応する人物名は「渟名底仲媛命(ヌナソコナカツヒメノミコト)・渟名襲媛(ヌナソヒメ)・川津媛(カワツヒメ)・糸井媛(イトイヒメ)」です。全員が同一人物というのは無理がありますが、同じ立場として描かれているので。
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子供についての記載

古事記では安寧天皇との間に
常根津日子伊呂泥命(トコネツヒコイロネノミコト
大倭日子鉏友命(オオヤマトヒコスキトモミコト=威徳天皇
師木津日子命(シキツヒコノミコト)

の子供をもうけています。

一方日本書紀の本文では
一人は息石耳命(オキソミミノミコト)
大日本彦耜友天皇(オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト=威徳天皇)

を産み、異説では
常津彦某兄(ツネツヒコイロネ)
大日本彦耜友天皇(オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト=威徳天皇)
磯城津彦命(シキツヒコノミコト)

の三兄弟を生んでいます。
古事記の日本書紀の異説はほぼ一致していますね。

日本書紀は古事記を優先していないのが分かります。
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古事記からの引用

安寧天皇
この天皇は河俣毘売(カハマタビメ)の兄の県主(アガタヌシ)波延(ハエ)の娘の阿久斗比売(アクトヒメ)を娶って産んだ子が常根津日子伊呂泥命(トコネツヒコイロネノミコト)、大倭日子鉏友命(オオヤマトヒコスキトモノミコト)、師木津日子命(シキツヒコノミコト)です。

日本書紀からの引用

安寧天皇(二)即位後
即位3年の春1月の5日に渟名底仲媛命(ヌナソコナカツヒメノミコト)を立てて皇后(キサキ)としました。
別名を渟名襲媛(ヌナソヒメ)といいます。
ある書によると磯城縣主葉江(シキノアガタヌシハエ)の娘の川津媛(カワツヒメ)といいます。
またある書によると大間宿禰(オオマノスクネ)の娘の糸井媛(イトイヒメ)といいます。
皇后になる以前に二人の皇子が生まれていました。
一人は息石耳命(オキソミミノミコト)です。
もう一人は大日本彦耜友天皇(オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト)です。
ある書によると、三人の皇子が生まれました。一人は常津彦某兄(ツネツヒコイロネ)。二人目は大日本彦耜友天皇(オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト)。三人目は磯城津彦命(シキツヒコノミコト)です。
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